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Afterword to the Newsletter: [Pen Relay]
  秋田市医師会報のあとがき「ペンリレー」のご紹介です。
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地名
笹原内科医院 笹原 秀明
  日に日に秋が深まり朝晩の冷え込みが厳しい季節となり、暑かった今年の夏が懐かしく思い出される。カレンダーもあと残りわずか、時の経つのはまったく早いものである。郵便局では来年の年賀状の準備が始まったとニュースで放映され、いつもの年末ギリギリの作業を今年は早く済ますぞと心に誓った自分に期待している。手書きの年賀状はもはや珍しくなり、何か無機質さを覚えるのは私だけではあるまい。現在では郵便番号と番地だけ書けば届くそうだがそれではあまりに味気がないと、宛名は書いて出している。その中には難読な地名や面白い地名があるのに気が付いてはいたが、それを探求したことはなかった。
  同じ町内で「あきた地名要覧」を執筆した秋田地名研究会会長が住んでいた。会長によれば、地名には生活環境である土地と結びついた方言・民俗・生産・地理・信仰・文化など、わずか数文字のなかに古くからのメッセージが隠されているという。県内各地に潜んでいる地名の妙を御著書より、先ずは身近なところ秋田市内での地名をピックアップしてみた。

【川反:かわばた】
  川岸、川のほとり、川の縁を意味するのは川端であって、県内に六十余りが分布しているが、その1/4ほどは「川反」と記している。「反」にハタの読みは無い(パソコンで打っても変換されない)が、原始農耕法の一つとされる焼畑を「ソリ」とも称し、「反」の字があてられたが、焼畑は平常「ハタ」とも略称されたので、その「ハタ」が「反」に移ったと推考される。忘年会の雑学に使えるかも?!

【保戸野:ほどの】
  囲炉裏の火を焚く凹んだところや鍛冶用の炉を火床(ほど)という。「林野で雑木林を集めて焼き払った土地、多くは焼畑地名」という解説もあるが、単に窪地と考えてよい場所もある。確かに保戸野は、通町からは少し下っているのは土地に由来していることだろうか。

  官庁街として今ある山王地区は新しい街で八橋や川尻集落に至るまで田園風景だったと聞いている。
【八橋:ヤバセ】
  江戸時代には久保田城から土崎港方面へ向かう羽州街道の、久保田を出て最初の集落が八橋であった。坂上田村麻呂が牛島の三皇神社から放った矢が走らせ落ちたのではという伝承はあるが、ヤバセはかつて矢橋、矢走などとも表記されていた時代もあり、それに触発されて案出した説と思われる。現在は八橋の表記が定着しており、ヤは水でハセは走るとする説、ヤは湿地、ハセは端の転訛とする説などがある。
【八橋 田五郎:タゴロウ】
  神奈川県箱根の北部に位置する早雲山の麓に、箱根観光の拠点である強羅という温泉地があり、この地名は岩石がゴロゴロしている所というゴロがゴウラになったものとされている。石ころの多いゴロ田が反転して田五郎という地名になっているといわれている。田五郎さんではなく、白井選手びっくりのひねり技!
【八橋イサノ 寺内イサノ】
  かつては漢字表記されており、率野、居坐野がみられる。イサは砂子(いさご)のイサである。石の細かくなったのが砂という認識のもとイサノは石の野ということらしい。

【川尻:カワシリ】
  日本語では川は山に端を発して海に至ると考えるが、アイヌ語では海から山へ上って行く生きものと感じとり、日本語とは逆である。つまり日本語でいう川尻はアイヌ語では出発点、すなわち川元である。秋田県はアイヌ語地名が多い地域の南限といわれている。ザブーンのある仁別もアイヌ語である。

【寺内:テラウチ】
  北辺鎮護の重要拠点であった秋田城の跡がある高清水ノ岡を擁する地区。秋田城守護のため建立されていた四天王寺と古四王堂(古四王神社)の境内だったことに由来する。また、堂ノ沢の「堂」は古四王神社を示す。

【将軍野:ショウグンノ】
  延暦十五年(七九六年)に陸奥で、組織的な蝦夷の反乱が起こり、それが長期化したため、派遣された征夷大将軍坂上田村麻呂がそれを平定しているが、出羽の国秋田に田村麻呂が来ているか否かは史実として断じがたく、伝説の域を脱しないが、田村麻呂にまつわるいくつかの地名が伝承されている。
  横手市大森の保呂羽山に大滝丸、悪路丸とも称される夜叉鬼という賊長が田村麻呂に追われて逃げ廻り、最後は男鹿で討たれたことになっているが、その時、田村麻呂が陣を取ったのが将軍野になっている。菅江真澄の文化九年(一八一二年)の「水の面影」には小川として書かれている幕洗川はすでに川の痕跡もなく地名としてのみ伝承されている。田村麻呂将軍が汚れた陣幕を洗った川という。

【からみ田:カラミデン】
  常陸国から佐竹義宣が出羽国秋田へ移封され、今は千秋公園になっている神明山に築城した久保田城外郭の北の丸前方に手形からみ田という地名がある。住所表示制施行までは「搦田」と表記していた。城の裏門を表す意味で、大手門に対して開かれる搦手(カラメテ、カラメデ)口の門をいう。カレメデがカラメデンになりメがミになったと思われる。日本地名総覧によれば搦手と搦手町があるのは水戸市だけで佐竹氏のゆかりを感じる。

【広面:ヒロオモテ】
  田のおもてで田面と記し、田そのものを意味する。広面は広田面であったものが省略されて広面になったものといわれている。その、広面地区には湿地に関わる地名が数多くある。谷内佐渡、谷地、樋(とよ)ノ下、樋口など。「谷」は当て字で、山間のへこみを指しているのではなく、水のことである。つまりヤチとは湿地を意味している。土木工事で、土砂崩れを防ぐと同時に水の浸入を防ぐために地中に打ち込む板杭を矢板というがこの「ヤ」も水のことである。
  秋田方言では灌漑用水路をサドというようでそれが字名になった。ヤナイサドと呼んでいるが、昔はヤチノサドあるいはヤチガサドと称していたらしい。

【太平:タイヘイ】
  太平山は古くは金峰山、薬師岳や大蛇峰などと呼ばれていた。その大蛇の尾が手形山を越えてきたところが蛇尾(へびお)で、その転訛したのが手形蛇野(へびの)として地名になっている。
  鎌倉時代に大江氏が地頭として山麓に入ったので、大江平(おおえだいら)という地名が生まれ、それが「おいだら」と転訛して人々に慣用された。その背後の山も「おいだらやま」と呼称されたが、これが今の太平山という山名になったのは佐竹氏が常陸から転封されたときとされる。明治22年に町村制が施行され山麓の6つの村が合併し大平村が誕生した時も、当初は「おいだらむら」と呼称していたという。

【新藤田:シントウダ】
  平家物語や源平盛衰記にも用いられている「しとむ」は水などに浸かる、水などが染みこむという意味である。その名詞化した「しと」は方言とされていて、水分、湿気という意味であり、濁音化して「しど」にもなる。餅をつく時に、臼に水を打つことを、また、赤飯を蒸かす折に、途中で水をうつことを「しとを打つ」という。
  新藤田(しどだ)のシドは湿分と考えられ田は処を意味する。

(秋田ふるさと選書1 あきた地名要覧 齋藤廣志 著より)

  師走を控え御歳暮、年賀状と住所(地名)に触れることの多くなる時期、訪れたことのない地でも、地名から相手方の風土を感じ得ることもできるかもしれませんね。
  次は美食家、格闘家などなどマルチな才能をお持ちの市立秋田総合病院の長谷川傑先生にお願いしました。


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