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Afterword to the Newsletter: [Pen Relay]
  秋田市医師会報のあとがき「ペンリレー」のご紹介です。
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私の音楽歴
小泉病院 伊藤 正直
 就学前、姉が小学校から帰宅すると弾き始めるのが当時の足踏み式オルガンであった。両足でプカプカとペダルを踏み、体を左右に揺らしながら鍵盤を押す動きに興味を示さない訳がない。自分も鍵盤に触れてみたいという衝動に駆られるが、当時そのプライオリティーは無かった。勿論小さな体ではペダルを踏みつつ鍵盤に触れることは限りなく困難な状況であり、瞬間的に音を出すことすら奇跡的で、その分、姉に対する尊敬の念でいっぱいであった。間もなく、オルガンは大きな黒い物体へと転身した。我が家にピアノがやって来たのである。当時、音楽とは、羨ましいものであった。
 その艶々して見上げるほど大きな存在感とペダルを踏まなくても美しい音が出る新機能は、ピカピカの1年生であった私に本格的な音楽魂を目覚めさせたのである。姉と同じピアノ教室に通い始めた頃、数十人の生徒の中で男子は私だけであった。教室といっても個人レッスンなので、先生のお宅にお邪魔して教えてもらうスタイルであった。玄関を入って左側に広い教室がありその右奥にグランドピアノが置かれていた。レッスン中はすぐ横に次の生徒が座って待っている。したがって、レッスン途中で間違えたり直されたりしている様子がそのまま見られるのである。もちろん、先生の狙いは他の生徒がどのような指導を受けているかを見せることにあったのかも知れないが、見られている側は毎回顔が紅潮しながら奮闘していた。程なく、早々と思春期を迎えたらしく、私はレッスン中の自分の音を他の女子に聞かれることに対して拒否権を発動した。当時まだ学校週6日制であり、日曜は唯一の自由な時間であったので、レッスンはその午前中に出かけていた。剣道部にも入っていた私は、試合がぶつかった日には勿論剣道を優先し、試合が無い時にもピアノレッスンを休む様になっていた。いつものように自転車で家は出るが、時間をつぶして素知らぬ顔で帰宅したのである。しかし、それも程なく親に知られることになる。行かなかった日数分、教室の先生が月謝の額を減らしてくれていたのだ。何故レッスンを休むのか、その理由を先生は親身になって聞いてくれ、ひとつの妙案にたどり着いた。なんと、朝食前のまだ誰も教室にいない時間に教えてくれるというのである。それ以後、日曜は6時半に起床。7時からピアノレッスンという特別メニューが始まったのである。夏は良かったが、冬ともなると外はまだ暗く、寒い中を教室に向かった記憶が懐かしい。結局、ピアノは小学校6年間継続し、それは私の音楽の基礎になった。それにしても、わがままを聞いてくれ、温かく教えてくれた先生には今も感謝の気持ちでいっぱいである。音楽は、継続するものであった。
 その流れで、中学校では吹奏楽部に入り音楽を続けた。実は秘かに憧れの楽器があったのだが、偶然それが一致してトランペットを担当することになった。当時部員の半分以上は女子であったが、ピアノと異なり、複数の楽器によるアンサンブルに大きな魅力を感じていた。文化部とは言え、練習は体育会系に近く、ランニングから始まり腹筋運動や腹式呼吸の練習なども取り入れた。汗もかきつつ練習を終えると、とにかく腹が減って大変であったことを憶えている。夏休みはコンクール前のため毎日練習があり、いつも熱気いっぱいの狭い音楽室から、少しは風通しが良い体育館に練習場所を移して行っていた。それでも汗だくになり、楽器を持つ手が滑らないようにタオルを手放せなかった。音楽とは、とにかく汗をかくものであった。
 クラッシックだけでなくポピュラー音楽にも興味を持ち始めたのはこの頃で、コンクールの課題曲や集会・運動会の行進曲だけでなく、文化祭でカーペンターズの曲を演奏したりすると何だか自分もスターになったような気分になった。ポール・モーリアやサントラ盤などLPレコードとFM番組でいろいろと聞きあさった。そんな中、たまたま聞いたヘビーメタルロックに無限のエネルギーと衝撃を感じ、いつかは私もこんな楽曲を演奏するのだと、心に決めていた。高校生になり、決心していたことを実現すべく、バンド活動の準備を始めた。両親の理解を得て、当時まだ珍しかったポリフォニックシンセサイザー(複数の音が出せるシンセサイザー)を手に入れた。1年生の時、文化祭のスペシャルバンドに参加できるキーボードを探しているということで軽音楽同好会に入った。部室は2階に上がる階段の下に位置するわずかな三角形のスペースで、通称「倉庫」と呼ばれていた。人が2人入れば身動きできなくなるくらいで、中には裸電球1つしかなく、夏など戸を閉めていたらすぐ暑くなるような狭い場所であった。したがってバンドの練習は必然的に教室で行っていた。熱中のあまり夜中まで大音量で練習し、近隣から苦情が寄せられたため、翌日職員室に呼ばれ注意を受けたこともあった。それまではあまり存在感のない同好会であったのだが、私が参加したスペシャルバンドのメンバーであった3年生が現役で東大に2名合格するという快挙があり、その後は少し知名度と品格の評価が上がった。1年生の秋からは上級生中心のバンドに参加し、主にヘビーメタルバンドのコピーを演奏していたがその後は、同学年中心で他校のメンバーも加わったバンドに参加しオリジナル曲も演奏するようになった。その時のバンドリーダーは現在、プロミュージシャンとしてCDデビューも果たしている。当時、駅前の角にあった電気店の3階にLM(ライトミュージック)コーナーとレンタルスタジオがあり学校帰りによく通っていた。高校生バンドが集まってコンサートを行う企画もあり、とにかく熱くなっていた。深夜、自分の部屋では、コピーのため曲の音取り(メロディーや和音を繰り返し聞いてその構成音を楽譜にする作業)をしたり、曲に合わせて大音量で演奏したりとフル活動していたが、全てヘッドホンを使っていたので近所迷惑に発展することはなかった。家族はどれほど勉学に勤しんでいると思ってくれていたであろうか。自作のシンセサイザーを作製したのもこの頃で、雑誌を参考に通販で部品を取り寄せつつ、鍵盤部分は完成品を使用したが、それ以外はケースまで自作して3年生の夏までに完成した。当時既にビンテージシンセサイザーと呼ばれて有名なARPやMOOGといったメーカーの外見上の良いところを寄せ集めた正に自己満足の一品であったが、肝心の音の安定性には不安があった。高校3年の文化祭では、体育館でのコンサートに加え、音楽室を模様替えしたジャズ喫茶の中で大人の雰囲気を気取っていた。それにしても、これ程までに音楽に熱中できたのは、高校の自由な雰囲気があってのことと思われる。音楽とは、生活そのものであった。
 大学入学後の部活では、硬式テニス部に入部したが、再びアコースティックな音楽に誘われ同時にジャズ研究会にも入った。比率は次第にジャズ研に傾いていった。バンドではトランペットを担当し、大学祭やライブハウスでも演奏した。この頃で、最も記憶に残っているのが、プロミュージシャンに間近で接したことであった。当時よく通っていたライブハウスでは、外国ミュージシャンのライブもよく行われていた。通常大きな会場のコンサートでは、ステージ上のミュージシャンの演奏はその細かな部分まではなかなか見えない。しかし、ライブハウスではその究極の演奏をすぐそばで見聞きすることが出来た。ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス、ウイントン・マルサリス、エルビン・ジョーンズ、ヘレン・メリルなど、まだまだ記憶に新しい。中でもチェット・ベイカーは、そのもの静かな風貌と全身から放つ緊張感が普通ではなく、とにかく崇高な存在として、また一番好きなトランペッターとして忘れることはできない。本物の音楽は、異次元のものであった。
 医師として大学の医局に入局してからは、さすがに自由な時間は少なくなった。40歳までに自作のCDを出すなどという夢を掲げていた時もあるがもちろん実現することなく、この十数年は仕事の合間にCDを聞く程度になっていた。唯一、学会発表などで出張の折、わずかな時間を見つけてはデジタル音源や録音機材を揃えてきたが、使いこなすまでには至らないまま少し古くなってしまった。そんな中、最近手に入れたのがウクレレである。小さくて邪魔にならないし、どこで弾いてもあまりうるさくない。電源も要らない。何より魅力的なのがその音色である。どんな曲でもウクレレで弾いたらヒーリングミュージックになってしまうのではないかと思えるくらい優しい。そもそものきっかけは、娘のプレゼントに買った「ハワイアンで聴くモーニング娘」というCDである。演奏しているのはドリフターズの高木ブー氏であるが、これが侮れない。驚くほど和む楽曲に仕上がっているのである。
 これまで、人生のいろいろな時期にさまざまなジャンルの音楽に関わりながら生活して来て、結局何一つ大成したものもない。しかし、どの時期の音楽も生活と切り離すことは出来ない存在であり、自分の記憶とリンクしている。ある曲を聴くと大学浪人中の微妙に不安定な気分まで思い出せたり、また別の曲では感激した場面が詳細によみがえったりする。私にとっての音楽はそんな存在である。昨年5月から現在の小泉病院に勤務しているが、待合ロビーにはピアノ中心の音楽を流し、手術室でも患者さんの好みに応じてジャズやクラッシックを聴いて頂いている。当院ではまた、入院患者さんやご家族に少しでもリラックスした時間を持って頂ければと、およそ2ヶ月に1度院内コンサートを開催している。昨年は、コーラス、ジャズピアノ、ハンドベル、クラッシックギター、大正琴などそのジャンルは様々で、毎回病院ロビーがいっぱいになるくらい盛況であった。音楽は、今も、そしてこれからも生活必需品である。

 次は、中通総合病院の安藤秀明先生にお願いします。


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