所属している大学の外科教室のA名誉教授(以下、A教授)が約一年前に逝去された。医学部の開設当初より教授を務められたカリスマ外科医で、学内では相当厳しいことで有名であった。この8月に秋田市で「偲ぶ会」が開催され、教室の諸先輩から、A教授の様々な思い出話が多く披露された。 私が入局したころには、一度大病を経験されており、そのため伝説的な手術の執刀を見ることは出来なかった。それでも教室員への指導は極めて厳格であることに変わりはなかった。特に毎週火曜日の教授回診でのプレゼンテーションは、少しでも抜けがあると激しく叱責されるため、前日には入念なリハーサルを行い、火曜日を切り抜けると、その週の大仕事は終わった位の安堵感だった。 そんな緊張感にあふれた大学での医局員生活だったが、A教授のお人柄が偲ばれるエピソードを一つ紹介したい。それは学位論文提出の時である。執筆を終了、残るはA教授の最終校閲を頂くのみという段階になった。締め切りまでには残り一週間の猶予があり、諸先輩はみなギリギリに提出して怒られていたことを知っていたため、余裕しゃくしゃくの心持ちで教授に提出すべく医局に戻った。するとA教授は明日から学会出張で、準備のためすでに帰宅されていた。そして向こう一週間不在になるという。これは困った、戻られてから論文を提出したのでは締め切りに間に合わないではないか。秘書さんに相談すると、A教授に連絡してくれて、すぐに自宅に論文を持ってこいとのこと、ただ「相当怒ってましたよ…」との伝言付きで。A教授の自宅を教えてもらい、すぐさま論文を持参して恐る恐る訪ねると、予想通り烈火のごとく叱責された。「医局員たるもの、教授のスケジュールは把握しておいて当たり前、それを忘れて今頃持ってくるなど不届き千万!重々反省しろ!仕方がない、これから見るから、明日朝一番で取りに来い!」よく覚えていないが土下座していたかも知れない…。 翌朝、約束の時間に遅刻しないようにおっかなびっくり訪ねると、旅支度のA教授がネクタイを締めながら満面の笑みで出て来ら れ「うん、良く書けていたね。てにをはだけ少し直しておいたからそれで提出しなさい、では学会に行ってくるよ」と優しく論文を渡してくださった。よく覚えていないが、拝んでいたかも知れない…。 思えばA教授だけでなく、当時の各教室は厳格な教授が多かった。内科系で最も過酷とされていた某教授の最終口頭試問は卒業試 験の中でもハイライトであり戦々恐々としていた。自分の順番になり室内に呼ばれると、試問内容はごく簡単なもので、極めて短時間で終わった。そして最後に「体調には十分気をつけて国家試験に臨むんだよ」とこれまた優しいお言葉を頂戴した。 以上、自分が若手の頃は極めて個性的で厳しくも優しい教官が多かったように思う。与えて頂いた教育に心から感謝申し上げたい。
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