もう10年以上前からだろうか、ご多分に漏れず視力の低下がはっきりとしてきた。老眼である。自覚した瞬間はご同輩と同様に細い糸の抜糸の際であり、不思議なことに手術中にはあまり感じなかったものである。 思えば初めて近視になってしまったのがわかったのもある日突然だった。高校2年生のある日、電柱の文字がかすんで見えたのがきっかけだった。自分の目は常に2.0で、近視眼などとは無縁という誤った自意識があり、眼鏡と一生付き合わなければならないと判明した時の落ち込みは大きかった。初めて眼鏡をかけて学校にいく日など、かなり緊張して出かけた多感な高校生だったが、案外誰も昨日までとの違いには気付いてくれなかったことも少し悲しかった。 話は戻り、日に日に、ではないが年々老眼は進んでいる。抜糸はまだできるが無意識に眼鏡を上方に外す動作が身に付いてしまった。手術に関しては、鏡視下手術や、術野が深く遠い、肺の手術などは困らないが、乳腺や甲状腺などの比較的浅い術野の手術が問題である。最近はいよいよ術野も何となくかすみつつあるようになり、かといって視点を遠くにおくと、正しい層を見極めることが出来ない。このままではいずれ手術中に大きなミスをしてしまうのではないか?いや、手術そのものの遂行が不可能になるのも時間の問題だろう。目下健康上の大きな問題はなく、老眼の進行のみで手術から離れるのははなはだ遺憾である。 これは何とかしないとヤバイと考えていた矢先、とあるTVのショッピング番組で「これだ!」と思った。眼鏡の上に重ねて着用する拡大鏡である。ネットで調べると「爪が安全に切れるようになった」「針の糸通しがラクラク」「細かい作業に向いており、電子基盤がよく見える」などと、いいことづくめである。他の「日本の職人」的な番組でもプロの高名な職人さんが使用しているのを見て、「これはひょっとして良いモノなのでは?」と思い試してみることにした。とはいえ、買って損した、使いものにならん、では困るので、とりあえず低価格(約2000円)のゾロ品を買って試してみることにした。 これが非常によろしい。機能は単なる1.6倍の弱拡大のルーペなのだが、眼鏡on眼鏡で使用出来るようにレンズが大きく、そのため視野が非常に広い。皮膚は毛穴までばっちり見えるし、糸も太く見えるので縫合もスイスイだ。何よりも正しい層がはっきりと見えるようになり、今までの視力で手術を続けてきたことがちょっと恐ろしくなってしまったほどだ。これできっと、今までよりも手術の質が向上していくに違いない、そして間違いなく外科医としての余命がたった2000円で延長されたことを実感している。
|