この号が皆様に届く10月10日は、1964年東京オリンピック開会式が行われた記念日、祝日旧「体育の日」です。私が小学生だった頃は全国的にも秋の運動会と言えば「体育の日」が開催日だったと思います。走ることに自信があり目立ちたがり屋だった私には一番好きな学校行事でした。そこで当時の運動会を回想してみたいと思います。
その一:開会式は重要 まずは入場行進。みんな裸足で何故か万国旗で飾られたゲートをくぐって入場していました。そして国旗掲揚、君が代斉唱と今では問題となっている〇〇学園のようでした。体育の授業以外でも開会式の練習をやっていた記憶があります。校長先生や来賓の挨拶がやたらに長く、迷走神経反射で倒れ早期戦線離脱する子もいましたね。 その二:裸足足袋 「キター!」という感じがしませんか?その当時競技用軽量シューズはなく究極の軽量シューズ(?)である足袋が最も速く走れるギアと考えられていました。私は運動会というと新品の白足袋を履き気合を入れました。(ゴムが張り付けられた最新式!)しかし終わると泥と擦り?けた足裏の血液にまみれ、あえなく使い捨てになっていました。 その三:運動会という名の宴会 運動会というと一家総出の一大イベントでした。お母さん、お祖母ちゃん達は朝早くから重箱入りのお弁当作り。お父さん、お爺ちゃん達はそれを肴に朝から酒盛りが当然でした。昼ご飯タイムに父兄席に戻ると空になった重箱を枕にすでに酔っぱらって寝ているおじさん達がちらほらいました。 その四:賞品は鉛筆 50m走など個人競技の入賞者は校長先生やPTA会長から賞品を貰いました。大抵が鉛筆で「第〇〇回大運動会記念」と印字がしてあり、それを授業で使うのがステータスでした。今では賞品どころか順位すら付けないようです。皆平等の精神で競技会というよりお披露目会的要素が強いからだそうです。一説に我が子の着順にビデオ判定を求めるモンスターペアレントがいるからとの話もありますが・・・。 以上取り留めない記憶をたどってみました。「あるある」と思った会員、「マジですか?」と思った会員それぞれでしょう。我が子の運動会からはとっくに卒業していますが、現在町内会の役員として町内運動会の準備をしています。立場上救護班を担当します。運動会大好き人間として今年は町内対抗リレーに参加しようと思っています。くれぐれも持参するAEDのお世話にならないように・・・。
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