車輪を軋ませながらゆっくりホームを近づく近鉄特急に、突然沸き立つ胸騒ぎで動揺し、目を逸らしながら慌てて2~3歩後ずさった。ヤバかったな。 自殺率日本一は秋田県であるが、その原因に日照時間や県民性は関係ないようにも言われている。また、うつ病患者数(1万人当たり)も秋田県は上位であるが、1位ではない。しかし、高齢うつ病患者に限ってみれば、秋田県は1位で、やはり自殺の原因の多くはうつ病ではないかと思われる。さらに、高齢うつ病患者数は、年間雪日数と正、年間平均気温と負の相関が強く、気候の関与が強く疑われる所である。思えばもう40年以上も秋田県に住んだ事になる。 5年前の夏の終わりに黒い影は、絶対にうつ病にはならないと油断しきった私の頭の中に何の抵抗を受けることもなく静かにスーッと侵入してきた。黒い影は、察するに恐らく、躊躇なく海馬かその辺りに棲みついたようである。その時から心は不安焦燥感に覆われ、すぐに精神科のDr.を訪ねて内服治療を開始してもらった。抗うつ薬で黒い影を追い出すのである。すぐに軽快すると思っていた。中途覚醒や早朝覚醒が怖くて睡眠薬も処方してもらった。海馬に棲みつかれてからというもの、落ち着いて患者の話が聞けず、それでも頑張って問診をし、理学所見も取り、その診断やそれについての説明もすぐに頭に浮かぶのだが、それを言葉にして伝えるのが億劫で話せない。無理に頑張ると尽き果てる程に疲れた。休養が必要とかで、クリニックを長期に午後休診にもしたので、当然クリニックは瞬く間に閑散となった。学会や研究会では何とか人の講演を聞いて理解もできるのだが、質問の手が挙がらない。最後の特別講演に至ってはその1時間がとてもジッとして聞いていられない。発言する必要のある会議では、ポケットにデパスを忍ばせて出席し、飛行機の1時間が耐えられずデパスを服用した。好きなランニングも全くやる気が起きなくなった。 海馬に潜む黒い影は、主に大脳皮質の運動野に干渉するようで、全ての行動はことごとく妨害された。食欲も無くなり、それでも無理に3食摂取したが少しも楽しくなく、体重も徐々に減少した。何故かビールだけは良く飲めた。さらには何もしないことにまで邪魔をされ、心身の安静すら容易に保てない。何とか維持していると思っていた思考力にも影響して、理由のない不安、焦燥が作り出され、それらが深い絶望感を醸成しているようだ。この忌まわしい黒い影はなかなかその正体を見せず、いつまでもしつこく居座り続けた。しかし発症から2年8カ月経って変えた薬がようやくフィットしたようで、秋田での六魂祭でブルーインパルスの曲技を観ようと空を見上げていた時、黒い影が居なくなっているのに気が付いた。
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