もうすぐ平成という時代が終わる。私は平成元年に大学を卒業し国家試験に合格したため、まさに平成とともに歩んできた医師人生は、時代の節目とともにいよいよ後半に突入してきたとしみじみと実感している。平成の後半には現在の臨床研修制度が開始された。これを機会に、平成とともに始まった研修医時代の生活を振り返ってみたいと思う。 研修医として働き始めた平成元年、時はバブル経済の真っただ中であったが、生活は好景気とは全く無縁なものだった。あてがわれた宿舎は、築数十年、部屋の住宅設備はお湯の出ない水道とトイレ、そして連絡用の黒電話しかない、風呂なしボロアパートだった。 バブルらしいことといえば、一年目の終わりに、蓄えた全ての貯金を費やし、新車を買ったことぐらいか。買ったはいいが、病院は徒歩圏内だし、何しろ日中に乗る時間がない。仕方ないので、毎日5時に起きて、ほとんど交通量のない早朝の道路での爆走を楽しんでから出勤、という生活をしばらく続けた。最近の研修医諸君も同様に2年目にクルマを買うことが多いようで、春先には駐車場には新車が目立つようになり、昔の自分が思い出される。 住居環境が劣悪なため、必然、病院にいる時間が長くなり、当直でもないのに泊まる機会が多かった。大した用もないのに夜中に病棟に出入りすることも多く、夜中に患者を診に行ったりして、今考えるとかなり迷惑に思われていたかもしれない。こうした時に採血方法、注射の詰め方、点滴セットの作り方、ポンプの使い方など基本中の基本をベテランナースたちが教えてくれた。今でも随分役に立っている。 反面、病院の医局あるいは研究室は快適だった。現代の病院のような整然としたパーテーションのあるオフィスではなく、30畳程であろうか、広大な部屋の中心にソファベッドと大型のテレビ、その周囲に各人の机が壁に向かって配置されているといった間取りである。毎日数人はそこら中にごろごろ寝て一晩を過ごしていたものである。ソファベッドにあぶれて、仕方なく床で寝ていた研修医も今では某大学某教室の教授になっている。 月に一度くらいは酒を飲みながらホットプレートで焼き肉パーティーも行っていた。病棟や外来とは遠く離れた場所にあったので夜中にいくら騒いでも全く問題なかった。その場での酔っ払いながらの、先輩からの手技や手術の指導は、これまた病棟ナースの指導とともに大変有意義であった。 現在の初期研修制度、今ではすっかり体系化、定着している感があるが、どっこいわれわれもそれに負けないくらい充実した、楽しい研修を受けてきた自負は未だに持っている。
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