今でも空港でパイロットを見かけると、思わず振り向いてしまうので、単なる親への反発だけではなかった様だ。私の父は医師で、私も当然医師になるものと、子供の頃より親から無言の圧力を感じていた。反抗期は言うに及ばず、その後も常に親への反発から、何となくパイロットへの憧れが強くなっていった。現役時代は、素直に医学部を受けたが、浪人してからさらに反抗が強まり、勝手に航空大学に願書を出した。試験は秋だったと記憶しているが、親は何も言わず、その無言の圧力で当日は試験すら受けに行くことが出来ず、情けない反抗に終わってしまった。 大学入学後のこと、遊びに行った東京の後楽園遊園地で、友人に誘われて生まれて初めてジェットコースターなるものに乗った所、あまりの恐怖で腰を抜かしてしまった。思い出してみれば、子供の頃、観覧車に乗れば必ず失禁しそうな気持になった。最高点に達する直前は全く落ち着きが無くなり、最高点を過ぎると何となく安心感に包まれた。その頃は楽しさが高じた感覚とばかり思っていたが、それでも何か変だとは思ってはいた。ジェットコースターに乗って初めて自覚したのだが、私は高所恐怖症だったのだ。高所恐怖症は、パニック障害のような不安神経症とする考え方もあり、その原因について、幼児期の体験が影響しているとも言われている。そう言えば餓鬼の頃「高い高い」には異常に興奮していた記憶がある。 大学の運動部の先輩がパイロットを目指して卒業後、航空会社に入社した。アメリカで訓練を受けていた時に、具体的には多くを語らなかったが、何か些細なミスを犯してパイロット不適格となり退社した。同じく運動部の後輩で、宇宙飛行士を目指して高校卒業後すぐに航空自衛隊に入隊したが、訓練中に不適格とされ、海上自衛隊あるいは陸上自衛隊への転勤を言い渡された。それが嫌で除隊して秋田大学を受験した。当然なのだろうが、非常に厳しい世界であることがヒシヒシと伝わって来る。大体、高所恐怖症のパイロットなど、有り得ない話である。これ等の話から察するに、私などはさしずめ真っ先に不適格で、もしあの時に航空大学へ入学していれば、卒業どころか早々に退学処分となっていたことだろう。何とか克服したのではないか・と思わない訳ではない。確かに以前は飛行機に乗る1週間前から物事が手につかない程、緊張したが、今はしばしば飛行機を利用するようになった。しかし、これは体力の低下から遠方への移動は飛行機を使わざるを得ずに乗っているので、慣れた訳ではない。現に今でも観覧車は見るだけで乗ることは出来ない。絶対に乗らない。しかし、10年に1度位にそれこそ魔が差したかのようにジェットコースターに乗ってしまいその都度、当然の様に腰を抜かしている。
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