よく考えてみると私は生まれつきの怠け者なのだ。貧しい田舎で生まれたが、父が医師で何の不自由もなく、教師の祖母からはお利口さんを強要され、母は教育ママのハシリで家庭教師をつけられて、何とか体裁を保っていただけなのだ。それでも中学1年の担任が今で言う熱血教師で、私の体力の無さを見抜き陸上部に入部させられた。 運動会に毛の生えた程度の実力が高校2年の秋に長距離走の面白さに気付いてしまった。進学校で、翌年夏の甲子園に出場した野球部以外の多くは引退する時期である。高校3年の12月までやった。浪人中も、秋田大学でももちろん続けた。卒業して医師となり麻酔科に入局したが、さすがにこのままでは多分ダメだな、と気付いて少し頑張る気になった。幸いと言うか麻酔科には人が少なく体力勝負では負けなかった。ペインクリニックに興味を持ったが、麻酔科には全身麻酔をかけて、少し研究できる人数分しか予算は下りていない。よって全身麻酔以外はやらなくてもいいのである。その環境でペインクリニックや救急などをやるには兎に角頑張るしかなかった。当時土曜日は休みではなく医局会があり、その後に麻酔科外来を開けて仕事をして午後にデータをとり、日曜日にも出勤してデータをとり、医師の仕事とはこういうものだと思い込んでいた。結婚してしばらく後に陸上競技にもカンムバックしたが、練習はいつも夜遅くで土日の練習も夜間だった。その頃のことを妻はよく愚痴をこぼすが、今は聞いていて当然と思う。 40歳頃のある出来事から休みくらいは自分の時間にしようと考えて、当直以外の日曜、祝日は出勤しないことにした。午前中、太陽の下に出るのは怠け者にとって実に爽快で、タガが緩むと絶対に元に戻らない。昨年の医師会報7月号特集に「私の働き方改革」をテーマで原稿を募集した。原稿が少なければ出そうと思っていたが、高尚な原稿が多数集まり私のは原稿にしなかった。 この原稿の著者らを集めれば11月に行う座談会を「医師の働き方改革」として企画すると楽勝であると目論んだが、そんなに甘くはなかった。準備を始めてみると個人の働き方改革を論じるのではない。個人の余暇の過ごし方など全く関係のない制度の話であるのに気付く。常態化する医師の長時間労働を是正して医師の健康と良質な医療の提供を謳っているが医師の勤務実態が把握しづらく、その絶対数も不足している中での制度は矛盾も多く抜け道のような暫定特例も設けられている。これを座談会でまとめるのは大変な苦労を要した。個人の働き方改革のような本音で話せる座談会は、もう少し先の話になるのだろう。しかしある病院の麻酔科医に電話で座談会の演者を依頼した時、「当直明けで帰られました」との返答には、その時すでに新しい風を感じた。
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