「今年をもちまして新年のご挨拶を控えさせて頂きます」「誠に勝手ながら本年で年賀状によるご挨拶を控えさせていただきます」 昨年はごく少数だったいわゆる「年賀状仕舞い」の文面が今年頂いた年賀状では非常に多く見られた。元々は、高齢者が年賀状作成の負担が大きくなってきたために行われてきたものだが、最近はこれには当てはまらない方も多い。背景には、年賀状作成にかかる手間の回避があるだろうが、はがき料金の大幅な値上げなどの経済的側面も無視出来ない。しかし、何といってもデジタル化の進展で、新年の挨拶もメールやSNSが主流になりつつあることの表れである。このため年賀状の省略が特に失礼にも当たらず容認される世の中になったとも言える。欧米には年賀状はないが、長く続いている「クリスマスカード」を送る習慣もまた紙媒体をやめることが進んでいるようである。 日本の伝統文化である年賀状は、「今年も宜しくお願いします」と新年の挨拶を交わし、お互いの近況を伝え、知ることが主な目的である。確かにこれはデジタル化により十分に代替可能である。ただし年賀状仕舞いによるデメリットもある。長く会っていないような親戚や友人と、年賀状により細く長くつながっておくことや、年賀状を書くときに「最近元気かな?何しているかな?」などと相手のことを思い出すきっかけなどは失われるだろう。また、年賀状を交わす相手とは「喪中はがき」もやり取りを行う。これにより、お互いの訃報を知ることがしばしばあるがこの機会もなくなる。 さて、この「仕舞う」だが、物事を終わりにする、使用したものをもとの場所や入れ物などに片づける、といった意味があり、年賀状仕舞いだけでなく、他にも同様に「店仕舞い」「免許仕舞い(免許返納)」「筆仕舞い」など数多く用いられている。この「仕舞う」というしゃれた言い方だが、なぜこのような表記を用いるのだろうか。語源を調べてみると、能楽の演目の最後の部分に、主人公が能面や装束をつけず、囃子も伴わずに舞うことを「仕舞」といい、舞を納めることから仕舞うという言葉が生まれたとするのが有力だった。他には「舞う」は踊るだけではなく、「回る」「巡る」といった意味合いもあるため、一周回って終了、から仕舞うになった説、さらには元々あった「しまう」という言葉に明確な漢字表記がなかったため、ただ単に語音に漢字を当てはめた説などがあった。この「仕舞う」を活用した「仕舞った」は、文の最後につなげると終了、完了の意味だけでなく、不本意、残念な意味合いも持ち、独立した感動詞としても用いられる。 この年賀状仕舞い、今年はそろそろ真剣に考えるようになってきた。ただし、一度やめてしまったら、再度始めることは非常に難しいだろう。しばらくは「仕舞って仕舞った」と思うに違いない。
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