掲載日:2024/07/04 |
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氏 名 |
橋爪 隆弘 |
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職 種 |
医師 |
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所 属 |
はしづめクリニック |
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趣味・特技 |
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ひとこと |
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大切にしていること
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はしづめクリニック橋爪隆弘です。市立秋田総合病院緩和ケア病棟安藤雅子師長からバトンです。安藤さんとは長年の付き合いがあり、本人からのお願い事については、「はい」「YES」「喜んで」の3択です。 医師になって38年、病院勤務が25年、クリニックでの診療が13年になりました。 クリニックは木曜日と日曜日を休診にしていますが、木曜日は紹介した患者さんの手術や能代での診療応援があるので、日曜日が唯一の休みです。日曜日をいかに過ごすかによって、仕事のモチベーションが変わります。天候がよければ山岳会の友人と近隣の山に出かけています。冬から春は雪山でバックカントリースキー、初夏は高山植物の写真撮影、真夏は渓流の沢登り、秋はブナ林の紅葉狩り、晩秋は越冬用のマキ運びなど、1年間の日程はほぼ決まっています。先日は仙台市作並の鎌倉山の岩場でロッククライミングに行ってきました。 山登りを本格的に始めたのは、青森での後期研修が終わり秋田に戻ってきてからです。仕事上あまりに理不尽な事が多く、気分転換に出かける必要がありました。 昭和の時代、勤務医には基本的には休みがなく、夜は患者さんの対応で容赦なく病院に呼び出され、土・日曜日は朝に患者さんの回診を行ってからでないと休めず、当直勤務の翌日はふらふらになりながら手術に入り、手術が終わると術後管理を行い、休日は上司に留守番を任され、休日はほとんどありませんでした。1週間近く自宅に戻れなかったこともあり、過労死寸前の生活を送っていました。 中堅外科医になると進行がんの患者さんを受け持つことも多くなり、患者さんのがんが再発すると自分で最期まで診察することになっていました。痛みなどで苦しんでいる患者を目の前にすると、当時まだ普及していなかった緩和ケアを勉強する必要がありました。ある日の講演会でフェンタニル注射ががん疼痛に有効なこと、看護師だけでなく薬剤師などとチームを組み実践することが緩和ケアにおいて必要なことを知りました。それをきっかけに市立病院で緩和ケアチームを立ち上げました。今では一般的になっているチーム医療の始まりでした。 多職種でがん患者さんに係ると、医師とは全く違った視点が数多くあり、とくに看護師の視点には驚かされることばかりでしたし、薬剤の使用方法については薬剤師に聞くと答えがでるなど専門家はやはり違うなと感じました。患者さんやご家族にとって、残された時間を少しでもよい状態にすることがいかに大切か身をもって学ぶことができました。 現在クリニックを受診する患者さんの中には、「かつて父がお世話になりました」「母がお世話になりました」と言ってくださる方も少なくなく、当時のことをよく思い出します。 自分はまだ元気なので、仕事も趣味も生活も十分に楽しみたいと思っています。
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