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<春夏秋冬>

発行日2004/07/10
秋田緑ケ丘病院  後藤 時子
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昭和40年代の小学生
 
 最近の小学生事情というのは私たちの想像と理解を超えてしまっているように見える。パソコンや携帯電話でのつながり、ゲームの世界への没頭、ブランド志向、化粧、ダイエット。そんな子供たちの目には大人のような疲労感が漂っている。いつから子供たちはこんな目になったのであろうか。私が小学生だった昭和40年代はどうであっただろうか、ふと思い返してみた。
 あの頃毎日の楽しみは、帰宅後近所の子供たちと裏山で日が暮れるまで飛んだり跳ねたりして遊ぶことだった。塾など殆どなかったので、みんな学校が終わると一目散に空き地に集まって遊んでいた。男女も学年も関係なく遊び、年上を敬ったり年下をかばったり、ということも自然に出来ていた。雨の日には、少年チャンピオンやりぼんといった漫画本をお互いの家に行き来して読み合った。タイガーマスクが流行った時はプロレスもどきのことをして遊び、アタックナンバーワンが流行ると暗くなるまで特訓と称しあざを作りながらボール遊びに興じた。いつも体を使って遊んでいたので、自分の痛みも相手の痛みも自然に分かった。お小遣いは3年生の当時一日10円で、その10円を握り締めて近くの駄菓子屋に行ってくじをひいた。当たりはガムの詰合わせであった。味はたいしたことがなくとも、とても大きなパッケージに入ったそれはいかにも大当たり、というにふさわしい体裁で小学生のプライドを大いに満たした。当時菓子の種類はごく限られていたし今思い返すと大しておいしい代物ではなかったが、当時の私にとっては本当にご馳走であった。ご馳走と言えば、今でこそバナナなど珍しくもなんともないが、当時バナナは病気になったときしか食べさせてもらうことが出来ず高級品であり、風邪さえ滅多にひいたことがなかった私はとにかく病気になってバナナを食べさせてもらいたいと心から願ったものだ。特別のご馳走としてもう一つ思い出すのは木ノ内のソフトクリームとホットケーキである。半年に一回くらいだったろうか、母に木ノ内に連れて行ってもらい、屋上の遊園地で他愛ない乗り物に乗った後、食堂でいつもホットケーキとソフトクリームを注文した。ホットケーキは黄金色に焼けていて、上に乗ったバターとはちみつがホットケーキの上でとろりと溶け合い幸せの香りと味が口いっぱい広がった。あの頃の小学生は何も持っていなかったが、こういった幸せの瞬間を誰もが持っていて、輝いた目をしていたと思う。今の子供たちにとって、ホットケーキやソフトクリーム、バナナはもはやご馳走ではない。子供たちはいつも美味しい物を食べ、かっこいい服、おしゃれな小物、最新のゲームを持っている。それでも、というか、それゆえに私たちが小学生だった頃、本当に美味しい、幸せだと感じたあのホットケーキやソフトクリームの味をきっと知ることはできないと思うと、とてもかわいそうに感じる。物や情報が氾濫している今、本当に大切なものを見つけ出すのは子供にとって至難の業だと思うが、それを教えてあげられるはずの大人も物に埋もれて自分を見失ってはいないか。昭和の幸せな時代を知っている私たちはあの喜びを常に忘れずに、子供たちに本当に大切なものを教える義務があると私は感じている。


 
 春夏秋冬 <昭和40年代の小学生> から