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<春夏秋冬>

発行日2020/12/10
平野いたみのクリニック  平野 勝介
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心の考古学
 
  人生の年を重ねると徐々にやることが無くなり、忘れていた昔のどうでもいいようなことを良く思い出して、それらを繋ぐと昔の真実に行き着くことがある。心の考古学とでも言えば良いのか、また小さな疑問も湧き上がる。
  私が幼稚園の頃、麦粒腫を拗らせて大きく腫れてしまった。医師である父が勤務する病院に連れて行かれ、狭い診察室のベッドに仰向けに寝かされた。ガーゼのようなもので顔を覆われ、その上から異様な匂いのする液体をかけられて溺れるような恐怖で意識が無くなり、目が覚めた時には眼帯をしていた。目の手術なのにエーテル開放点滴だったのか。
  小学校低学年の頃、母が右膝を腫らして痛がっていた。父は、そんなに痛いなら明日ここで(家で)切ってやると言った。翌日の夜、本当に色々な物を持ってきた。茶の間の隣で裸電球だけの薄暗い板間に母は横になり、今思えば静脈麻酔薬を注射した。電気スタンドは点けていて、母は指で数を数えて5くらいで「もうダメ」と言って意識が無くなった。父は簡単に消毒をしてメスを入れたとき、乳白色の膿のようなものがどくどくと大量に排出されてきた。「これで楽になるぞ」と1針くらい縫って、私に「お母さんの呼吸を見ておけ」と言い残して茶の間に戻ってビールを飲み始めた。ただ母をジッと見ていたが、しばらくして父が「呼吸が弱い」とか言って前胸部を押したりしたので「何してるの」と聞いたら、「人工呼吸だ」と答えた。見ていただけで疲れてしまい、母が意識を回復してすぐに眠ってしまった。翌日、母は右膝に包帯を巻いて、何事もなく家事をしていた。後で知ったこと、全身麻酔には必ず点滴を確保し、心電図をモニターすること。静脈麻酔で鎮痛作用があるのはケタミンのみで、迷走神経反射亢進のため、嘔吐や喉頭痙攣に対する準備が必要である。これを自宅の板間で心電図もなく、酸素や吸入の設備など有るわけがない。さらに子供の私を助手にするなど論外で、この環境での麻酔は絶対禁忌である。なぜ局麻でなかったのか?
  さらに関節内の感染は重篤で、あの時多量に排出された膿のようなものはどこから出て来たのだろう。
  小学6年に3名が死亡した小学校の集団赤痢で廃屋同様の病室に隔離された。隣の子の激しい下痢で布団が汚染され、結果、私から長く赤痢菌が検出されて隔離が延びた。ある夕食後、突然我々の病室に大きなガラス瓶を持って看護師さんが数名入って来た。一瞬、部屋が凍り付いたが、下痢が続く子を押さえて両大腿部にピンク針のような太い針を声を合わせてブスッと刺した。大きな泣き声が起きた。これは大量皮下注射だった。当時は点滴確保が難しい時代だったのだろう。それ以前の私や母の麻酔に多分点滴は無し。聞こうと思っていた父はすでに他界、母は認知症でその考証は今は不可。多分死ぬところだったのだ。
 
 春夏秋冬 <心の考古学> から