トップ会長挨拶医師会事業計画活動内容医師会報地域包括ケア介護保険について月間行事予定医療を考える集い学校保健関連

<春夏秋冬>

発行日2019/08/10
並木クリニック  並木 龍一
リストに戻る
アマチュアの祭典
 
  第32回となるオリンピック東京大会まであと1年となりました。1964年にアジア圏で初の開催となった前回東京大会当時、オリンピックは「アマチュアの祭典」と呼ばれていて今とは随分違っていました。1896年の第1回のアテネ大会より多くの変化を遂げてきたオリンピックですが、最も大きな変化といえばプロ選手参加解禁でしょう。
  オリンピックの象徴とされていた「アマチュアリズム」は、今では死語になっています。「アマチュアリズム」とは、オリンピック創始者である英国のクーベルタン男爵がその理念として提唱した思想です。「オリンピック出場者は、スポーツによる金銭報酬を受けるべきでない」としてオリンピック憲章にアマチュア規定が厳格に明記されていました。同氏は「参加する事に意義がある」という名言も残しましたが、言い換えれば「参加する事が最大の報酬である」と言う事です。しかし最後のアマチュア主義であったIOCブランデージ会長が1972年に退き1974年にその憲章からアマチュアという言葉そのものが取り除かれました。
  そもそもアマチュア規定が生まれた背景には、19世紀前半英国において、スポーツ競技の出場資格から肉体労働者を排除し、スポーツ界を自ら「アマチュア」と称するブルジョア階級の人々が中心となっていた事実が存在します。スポーツにはお金がかかります。ましてオリンピックに出るようなレベルの高い選手育成には莫大となります。完全に無報酬無収入でオリンピックを目指すには金銭的に余裕の高いブルジョア階級出身の選手に限られることが差別であると批判されたのです。そこから段階を踏んでプロ選手出場容認が勧められました。
  かつて、旧ソ連や東欧諸国などのいわゆる東側社会主義国では、国家政策の一環として有能選手が集められ国家から報酬、練習、生活の援助を受けオリンピックで優秀な成績を上げると一生涯の保障が得られました。(中国などは今でも)これらの国家では「社会主義にはプロが存在しない」という理屈のもと「ステートアマチュア」と呼ばれる事実上プロ選手が多数のメダルを獲得して西側諸国の不満が噴出しました。旧ソ連や東ドイツは圧倒的でしたね。さらに1980年にIOC会長に就任したサマランチ会長はオリンピックの商業化、プロ選手出場容認を推進しました。1984年のロサンゼルス大会は公式スポンサー、テレビ放映権などにより莫大な利益を上げました。1992年バルセロナ大会のNBAマイケル・ジョーダン率いるドリームチームはすごかったですね。
  様々に変貌を遂げながら発展し続けたオリンピック大会。「アマチュアの祭典」ではなくなりましたが、プロ・アマ問わずアスリートが大舞台で活躍する姿は美しく感動的です。世界中の皆が「平和の祭典」であり続ける思いに変わりはないでしょう。
 
 春夏秋冬 <アマチュアの祭典> から