昨年の7月、9月の水害に対し市医師会よりお見舞金を頂き、湊会長はじめ会員の皆様に深謝いたします。 さて、昨年当院2度の床上浸水に遭ったわけですが、実は以前も何度か玄関までの浸水を経験していました。それも、今回のようなゲリラ豪雨ではなく長雨の後が主で、一寸タイムラグがあった翌朝医院に来てみると玄関マットがタップリ濡れていたということもありました。近くの草生津川が決壊したわけでもないので初めは誰かの手の込んだいたずらかと思ったりもしたのですが、内水氾濫の軽いやつと漠然と自身を納得させ、更に何度か経験していくうちにある程度の危険予知も授かっていました。 ゴルフ予定の前日からの雨天時など、朝には小雨になったにも拘らず、「雨天で(医院浸水の懸念あるため)欠席します」と、まさに切歯扼腕、軟弱な断りの電話を入れたこともあります。しかし、今回のことで甚災に対して経験則は役立たないことも授かりました。それでも会員の皆様に幾つか(災害マニュアルには載っていない)役立ったことを述べたいと思います。
・1秒でも早く清掃業者に連絡:7月の水害時、室内泥水が引けた後に清掃予約を入れた所、既に水害清掃予約が入っていると断られ、職員とボランティアのみで泥出し・清掃をせざるを得ず、業者清掃は7日後になった。9月の水害時、同じような轍を踏まないよう浸水しそうになった瞬間、業者さんに清掃を懇願。翌朝、会社でエキスパート5人衆と呼ばれるプロが来て、夕方には床のみならず壁も(外見上は)泥水の痕跡が残らない状態となった。Project Xの職人たちを見ているようでした。 ・コンセントに蓋:偶然蓋をしていた電気コンセントは浸水したにも拘らず、乾燥した状態で使用可能であった。(電気屋さんはコンセント部分をガムテープでもいいから覆うのがいいと後で言っていた。)濡れたコンセントは見捨て、濡れなかったコンセントを暫定回路とし復旧作業にあて、エアコンが復旧するまで直径1m 程の業務用扇風機を借り終夜作動させることができた。おかげで3日後には外見上は無傷の様に外来診療ができました。 ・喫緊を伝える:浸水が始まり避難する患者さんに在って、「折角この雨の中を来たのだから子供の診察(予防接種)をしてくれ」と帰ろうとしない頑迷固陋の祖母がいて職員が困っていた。喫緊時にはそれなりの対応が必要と実感。 あくまでも数時間の床上40㎝程度の浸水でしたが、参考になったでしょうか? 災害は不幸なことでしたが、職員・ボランティア・知人の手助けを得て、社会との暖かい温かいつながりを感じ、生きる肥料をもらったと思っています。 ところで、開業時、近くを流れる「草生津川(くそうづがわ)」の読み方さえ知らず、職員たちが「クソーズ川」と言っていたのが「クッソウ」と聞こえ、スポ根マンガの科白を想起させ、朝のジョギングコースに相応しいあだ名の川かと思ったりしたものです。実際、東岸にはコスモスロードがあり早朝には散歩を楽しむ人やジョギングをする人を散見します。しかし、また、半端な知識ですが、江戸時代八橋が刑場で、今生の見納めに橋上から自分の面影を映したことから「面影橋」と呼ばれた等、死を想起させるエリアでもあり、「くそうづ」が「九相図」とも聞こえ、響きがなんとも仏教的な河川名と内心思っていました。 今回、水害を契機に改めて「草生津川」について調べて見ました。この名前の由来は「臭水(臭みづ)」で、その名の通り「臭い水」を意味し、「臭水」は石油の古称。更に音変化で(臭みづ~くさうづ~くそうづ)「草生津」になったようです。成程、八橋油田を流れる川はかつて油膜に覆われ「臭い水」が流れる川だったと「ガッテン」しました。 この川は秋田北ICあたりから発し外旭川地域の水田域の流水を集め、用水路の様に寺内・八橋を通り秋田運河に注ぎます。以前は生活用水の流れ込む「臭水川」だったらしいのですが、現在春は桜並木、秋はコスモスロードを逍遥として楽しめます。コスモスロードは平成16年ころ近隣の小学生たちが水辺環境の改善の一環として花を植えたのが始まりとかで、地域をあげ環境活動に発展させた結果と伺っています。桜並木も太平川のそれに劣らずの景観になってきました。来られたことのない方は一度散歩に来てはどうでしょうか。 江戸時代以降の市内の水害と土木工事については「雄物川放水路事業の歴史」が参考になりました。(注2)改修工事を期待はしますが、60数年の人生で水害がなかったのが不思議なくらいと割り切り、クリニックに止水板を設置しました。止水機能は漏水量4?(h・m2)とあり、経験してみたい衝動にも駆られますが、お守りとして未使用で終わるのを願うばかりです。
今回、同級会ではいつも美味しいワインを提供してくれる武田君からのペンリレー依頼でした。自分は酒なら何でもいい派ですが、ワインで一度恥ずかしい経験があります。ワイン会があるから(しかも只で)来ないかというお誘いがあり、外来終了後ソソクサと出向きました。途中、以前Romanee Contiを飲ませてもらったことがあった湊昭策先生に会ったので、「今回のソムリエさんに先生なら指導できるんのではないですか」と半分冗談・お世辞を言いつつ会場に入室。初めに出たのが甘口の赤、「TOKAJI(注3)みたいな(甘い)赤だな」と私ポツリ一言。その後、ソムリエ氏「これは赤玉ポートワインです」。ガーン!軽佻な発言はワイン会では慎むべきと反省。軽いジャブ(いきなりのカウンターパンチか)から始まったワイン会、赤面ものでした。(やるな、田崎真也) 次のペンリレーは、唯我独尊の同級生達の中にあって、児童作家と小児科医の肩書をもつ「綺羅、星の如く」輝きを放っているの後藤敦子先生にお願いします。
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