長いコロナの間いつの間にか傘寿を迎え、自分が歳を取ったのに気づかずにいた。 毎夏冬のゴルフ遠征もなく、私にとって失われた3年半であった。人々の集いも夏を告げる行事、そして、スポーツイベントもなく季節感がないまま過ぎてしまった。 コロナが5類となり、人々が街に出始めた時、今年の夏こそはと思い遠くへゴルフ遠征に行こうと考えた。外国は円安だし、北海道は当たり外れがあるし、沖縄は混んでいる、などと考えていた時、私の昔からの友人で毎年、池田勇太(ゴルフプロ)たちの冬合宿をお世話しているという人が仕事で秋田に立ち寄った時、酒を飲みながら話の中で、宮古島の夏はどうなんだと聞いたら、小さな島だから風があってそんなに暑くも感じないし、良いゴルフ場が3つもあり、なによりもあまり混んでいないとのこと、そこから話が進んだ。お盆は混むし、竿燈までは帰ってこようなどと考えを巡らせた挙句、7月の末から8月初めにかけて、4ないし5日でどうだろうということになった。チケット・宿・ゴルフ場の手配は任せておけということで話は決まった。7月29日発、8月2日帰りの日程を組むことになり、早速手配した。7月29日夜は沖縄泊、翌朝宮古島に飛びすぐに1ラウンド(ユニマットがやっているシニラベイカントリークラブ)、翌日は東急がやっているエメラルドゴルフリンクス、3日目は、オーシャンリンクス宮古島という段取りであった。最終日は、午前中どこかのゴルフ場で1ラウンドやって午後の直行便で帰宅。まさに、理想的なスケジュールであった。その後出発近くになり、問題が発生した。7月26日、台風5号の存在が明らかとなり、非常に大きな台風ということであったが、進路を見ると、宮古島付近は29日には通り過ぎた後ということで、その時点でゴルフはできると判断し、予定通りに出発する決断をした。しかし、7月28日、台風6号がフィリピンの東で発生・発達しながら北西に進んでいるという情報が入ってきた。7月31日から8月1日にかけて沖縄本島が暴風圏となるという予報が出たが、その時点では、8月1日はゴルフしなくとも翌日午前中にゴルフして午後の直行便で帰ればいいなどと、安易な気持ちでいた。7月29日秋田発羽田行きの便は少し遅れたものの、無事到着。比較的スムーズに乗り換えができた。無事沖縄に到着し、そのころから生ぬるい風が吹いていたが、台風5号は熱帯低気圧に変わった後なのでむしろ、気持ちよく沖縄の夜を楽しんだ。台風6号がすでに発生していることは承知しながら、おそらく、1日我慢すれば台風は北東に行くだろう、ゴルフのラウンドはできるだろうと思っていた。(ゴルフきちがいはなんでも自分たちに都合の良い方に考えが走るものだ)30日、31日と予定通りラウンドし、8月1日に沖縄に接近したというニュースがあったが、雨がなかったので午前中は強風の中ゴルフを楽しんだ。ゴルフしながらこういう経験はめったにないということで、まわった後に妙に満足感を覚えた。ゴルフ場の帰り道、予想通りゲリラ豪雨的土砂降りにあったがラッキーなどと思いながらホテルに着いたのだが、翌日の飛行機は欠航ということを知り、少し慌てた。医院には電話し帰院は1日遅れるのでよろしく頼みますと連絡し、ホテルの連泊をお願いし夜食と飲み物を調達することとなり、非常に慌ただしい午後であった。翌日になり、台風が居座りし、身動きが取れない状態になっているという情報が入り、テレビでも台風の話題が全国ニュースにもなっていた。自分がその真っただ中にいるという不思議さ、幸いなことに沖縄本島のパニックと違い、宮古島は人口も少なく電線は地下に埋設しているため停電もなく、地元の人はあまりびっくりもしていない様子であった。川もなく洪水の心配もないため、皆、台風の過ぎるのを待っているという感じであった。私どもは毎日、翌日の飛行機の予約を確認しながら、ホテルのチェックアウト・チェックインを繰り返すという仕事の連続だった。テレビを見ながら部屋飲みしている自分がいて、なぜか日頃の喧騒から離れてのんびり休養を楽しんでいたのかもしれない。なんだかんだで飛行機が飛んだのは、8月5日の土曜日。臨時便が用意され、それに乗ることができたことで無事帰ることができた。 気象庁によれば台風とは北太平洋南に市域熱帯の海上で発達した熱帯低気圧のうちさらに発達し、最大風速17m/秒以上となったものを指すとある。そのため、台風は湿った空気を多く含んだ積乱雲が集まってできているため、大雨を伴い、大きな被害をもたらす。ハリケーンは北大西洋カリブ海メキシコ湾や北東太平洋にある熱帯低気圧で最大風速33m/秒以上になったものを言う。サイクロンはインド洋南太平洋に存在する熱帯低気圧のうち最大風速17m/秒以上のものを指しているようだ。台風は日本では1月1日以降に発生した順に年号と番号を付けて呼んでいる。(令和5年台風第6号)アメリカでは、ハリケーンには女性の名前を付けることが慣例となっている。そのため、アメリカの占領下にあった6年間に発生した台風でもキャサリン(1947)、キティ(1949)、台風などは記憶にある方もいるとは思うが、甚大な被害をもたらしたものとしてその名が残っている。2000年から北西太平洋や南シナ海に発生した台風防災に関する各国の政府間組織として位置づけられている台風委員会がこの領域で発生する台風に共通のアジア名をつけることで統一したということだ。この委員会には日本を含め14か国が参加しており、各国が10づつ名前を出し合い、140個の名前をリストアップし、順々に名前を付けているそうだ。約5年で一巡する計算になるが、甚大な被害をもたらした台風はその名をのちの台風に使用しないようにしているそうだ。ちなみに今年の台風5号は(トクスリ)、6号(カータ)、7号(ラン)、8号は(ドーラ)、9号は(サオラー)、10号は(ダムレイ)となっている。日本における台風は雨と風の両方の被害があることが問題である。そのため、気象庁は台風の発生直後から注意を呼びかけ、進行方向や気圧風速などいろいろな角度から計測、そして予測し、注意を促している。各国がいろいろなデータやコンピュータを駆使して予測しており、近年ではかなり正確な予報ができるようになってきている。今回の台風6号は、沖縄近くで右往左往するとはどの国も予測していなかったと思う。私もついているのかいないのか、他の人があまり経験しないようなことを経験した。近年の自然災害は昔に比べ、規模が拡大している。何十年に一度とか過去に例を見ないとかいう言葉があちこちで聞かれる。ある人は、これをニューノーマル、ニュースタンダードなどと言っているようだが、何十年に一度という言葉が何年に一度に置き換わり、毎年記録を更新するというような事態になりはしないかと心配でたまらない。どのくらいの備えが良いのか見当もつかないのが現実かと思う。災害危機管理の重要さと難しさを肌で感じている今日この頃である。これを書いている最中にも報道では台風11号が発生するらしいとのことだ。 次の執筆は藤枝信夫先生にお願いしました。藤枝先生、よろしくお願いします。
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