トップ会長挨拶医師会事業計画活動内容医師会報地域包括ケア介護保険について月間行事予定医療を考える集い学校保健関連

<ペンリレー>

発行日2023/08/10
中通総合病院  三澤 明広
リストに戻る
パパは研修医1年目
 
 皆様初めまして。中通総合病院 研修医1年目の三澤明広と申します。出身は埼玉県、年齢は38歳、妻と2歳の娘の3人暮らしで、一般の大学を卒業し社会人経験を経た後、弘前大学医学部2年次に学士編入して現在に至ります。研修医の同期に改まって経歴を紹介する場もなく、同じ秋田市内で働く皆様方にもこのような研修医がいるのだなという自己紹介の場として今回の記事を書きたいと思います。
 埼玉県さいたま市にある栄東高等学校を卒業した後、慶應義塾大学経済学部に進学しました。当時は特にやりたいことがある訳ではなく、会社員になるのであれば経済の知識を身に付けたら有利かなという程度の意識で大学へ進学しましたが、大学の入学式で大きな衝撃を受けました。高校は一学年300人程度でしたが、大学の入学者は6,500人、さらに保護者も付き添っているため大学の講堂に1万人以上の人が集まっていました。入学式が終わると、先輩達のサークルや部活の勧誘が待っており、先輩達も1万人以上いるためキャンパス内は2万人以上の人間でごった返していました。毎回の講義も大体300~400人、多いものでは1200人が1つの教室で受講していました。これが大学生活か、と高校時代に自分の見てきた世界の狭さを18歳の4月に痛感しました。部活は慶應義塾大学英語會といういわゆるE.S.S(English Speaking Society)に所属しました。入部時で110年の歴史があり部員も300人程いて、大学の中でも規模が大きく伝統のある団体でした。入部のきっかけは英語が話せるようになりたいな、という程度でしたが、英語でのDiscussionやDebate、Speech、Drama(演劇)などの活動に参加する中でDramaに興味をもつようになり、英語劇に大学時代の多くの時間を割いていました。この英語劇は日本でも珍しい英語劇大会であり、慶應・早稲田・立教・一橋・津田塾の5大学が参加しています。戦前から年に1回、外国人の審査員をお招きし、800人の観客の前で大会を開催しています。慶應のE.S.SのDramaのOBには俳優の中村雅俊さんや別所哲也さん、早稲田のE.S.SのOBには俳優の内野聖陽さん(2007年大河ドラマ 風林火山の主役)がいらっしゃいます。そんな歴史のある大会に臨むため、演劇は未経験、英語も全く話せない私は、本番4か月前から、長い日には1日12時間ほどの稽古を積み重ね、時には大学に泊まり込みながら、先輩やOB・OGからの厳しい指導を受け、年に一度の大会に大学時代の全てを費やしていました。演劇と聞くと馴染みのない方には演技力を向上させる活動と思われるかもしれませんが、海外では演劇教育は”生きる練習”と言われ学校教育で実践され、相手の意図を的確に受け取り自分の意図を正確に伝える能力として子どもの表現力やコミュニケーション能力などの成長過程には必須なものとして捉えられています。私自身、演劇に取り組んだのはそのような深い意図があった訳ではありませんでしたが、大学卒業後の社会でのコミュニケーションや、自分の人生を振り返る際の自分とのコミュニケーションでも演劇に打ち込んだ経験は強く活きていると感じております。
 大学卒業後は株式会社インテリジェンスという人材紹介会社に就職しました。業務内容は転職希望者の支援や就職先、派遣先、アルバイト先の斡旋であり、社員は5000人、オフィスは東京駅前にある丸ビル28階にありました。ところが就職時の2008年はサブプライムローン問題やリーマンショックにより世界的に不況であり、若手社員は人員整理の対象となり1年後には転職を余儀なくされました。業界の安定性を考え、製薬会社の1つであるノバルティスファーマ株式会社へ転職しました。その時の赴任先が秋田県であり、MRとして能代・山本地区を担当しました。3年程働きましたが、三種町でご活躍されている前・秋田県医師会副会長の佐藤家隆先生が地域医療に貢献されている姿に刺激を受け、自分も医療者として直接的に医療に貢献したいと考え、退職し、27歳の時に医学部を再受験することにしました。しかし、もともと私立文系出身であり、医学部の受験勉強のハードルは高く2年チャレンジしましたが結果が伴わず、再度就職することにしました。再就職先はグラクソ・スミスクライン株式会社で、赴任先は神奈川県でした。30歳の時に、秋田時代に知り合い、医学部受験や再就職も見守ってくれていた彼女と5年の交際を経て結婚しました。結婚のタイミングで妻から言われた一言は、「もう一度医学部受験目指したら?」でした。妻の後押しがあり仕事をしながら医学部学士編入の勉強を始め、2年間チャレンジし、33歳で弘前大学医学部2年次に編入することができました。医学部5年次には娘が誕生しました。在胎37週3日、46cm、2,282 gと小さく産まれたため成長を心配しましたが、この7月で娘は2歳になりました。娘は、“ブロッコリー、ぶどう、(おさるの)ジョージ、きゅうきゅうしゃ、いただきます”などたくさんの言葉を話します。当然、娘は文字を読めないので、全て耳学問で学んでいます。私は普段、業務内容をメモに記録しておりますが、娘が耳と目だけで学び、自分のボキャブラリーとして積極的に活用している姿を見て、子どもの好奇心は本当に凄く、自分もその姿勢を学ばなければいけないなと痛感させられます。
 長々と自己紹介してきましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます。一般の大学を卒業し、7年程サラリーマンを経験し、パパとして研修医1年目を迎えました。医師のスタートを切るまで遠回りはしましたが、その分、人生経験を多く積むことができ、その経験を今後の患者や医療者とのコミュニケーションに還元できればと考えております。勤務先の中通総合病院を初めて見学したのは大学3年の時でしたが、同じ日に中通総合病院を見学していたのが久米佑先生でした。あれから4年が経ち、同じ病院で彼と仲間として働くことができ感慨深い思いです。そんな久米君にバトンを渡し、今回のペンリレーを終えたいと思います。
 
 ペンリレー <パパは研修医1年目> から