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<ペンリレー>

発行日2023/01/10
中通総合病院  神垣 佳幸
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忠輔と平蔵
 
 新年あけましておめでとうございます。昨年10月より中通総合病院に勤務しております神垣佳幸です。12月に医師会の新会員でご紹介頂き、今回当院小児科の山田瑛子先生よりバトンを受け取り、ペンリレーに投稿させて頂く事となりました。
 大阪で過ごした8年の歳月は公私ともに多くの変化をもたらしましたが、特にこの3年は社会や生活環境が大いなる変貌を遂げていると感じます。それでも懐かしい秋田弁を耳にしながら、慌ただしく冬支度をしているうちにこの地での生活が徐々に思い出されて、ようやく地に足がつき始めた感が致しております。
 さて今回は我が家の大切な子供たち、ゴールデンレトリバーの忠輔とシーズーの平蔵を紹介しましょう。それぞれの名は南町奉行大岡越前守〝忠相〟に妻のある思いを込めて〝忠輔〟、妻の好きな故松本白鵬がかつて中村吉右衛門であった頃に演じた火付け盗賊改方長官長谷川〝平蔵〟宣以より〝平蔵〟と付けました。
 忠輔と出会ったのは震災の前年、19年間を共に暮らした愛犬を亡くした時でした。動物保護団体で活動していた妻の知人から「多分2歳を超えたゴールデンレトリバーだが引き取り手がいない」と紹介があり妻が面会に行きました。その日の夜、私に面会時の動画を見せながら、思うところがあったのでしょう「この子はうちに来る子、うちの子にしたい」と熱望し、何度かの面接の後引き取ることに決めました。
 12月25日クリスマス。忠輔は我が家にやってきました。頭ばかり大きくガリガリに痩せた体、全身ボサボサで灰色の毛並み、持ち物はひとつもありませんでした。そして食事は脇目も振らず食べるものの、以外のことには全く関心を示さず、褒めても叱っても無反応で部屋の隅にうずくまっているばかり。公園に行っても全く楽しそうにしない忠輔にどう接すればと途方に暮れていた時、元訓練士という方が声をかけて下さいました。事の次第を話したところ「この子は元の家族から無視され続けて来たんだろう。いつも独りだったから独りが平気なんだ。愛情もって、時間かけて」と。そこからはとにかく「人といることは楽しい」と思ってもらえる様に努めました。何度でも名前を呼んで、なでて、褒めてを繰り返す日々。そうやって暮らし始めて数ヶ月、ようやく天性の気質と思われる穏やかで、天真爛漫なゴールデンらしい姿になってきました。唯一頭の上をものが通ると怯える以外・・・それは言うことを聞かないからと杖で頭を叩かれて続けた辛い記憶でした。
 それから12年。大阪では夏の暑さに体力を奪われ、特にここ数年は加齢による体力の低下で病院に行くにも妻と二人がかりでした。ところが名前を呼ばれた途端、よろよろと立ち上がり、しっかりした足取りで診察室に入っていくのです。一体どこにそんな力があるのか。診察中も四つ足で立ち、採血の時も微動だにしないばかりか、主治医の顔を見て尻尾まで振っているのです。「もう15歳過ぎたね。人間なら100歳を超えたご長寿だよ。本当によく頑張っているね。今日もお利口さんだったね。また元気でおいでね。」主治医になでてもらいながら、そう毎回声をかけてもらい、診察室から元気よく出てきた途端に体力切れでへたり込む。人と一緒にしては申し訳ないのですが、なんだか私自身が日常経験している事と似ているようで、微笑ましいようなしかし同時に尊厳の様なものを感じてしまうのです。
 大阪から秋田まで、車での長旅は弱っている忠輔にとって大きな負担であり、途中で何があっても覚悟の上でしたが、幸いなことに無事帰秋出来ました。さらに驚いたことには忠輔が徐々に元気になってきたのです。秋田の環境が体に合って本当に元気になってきたのか、それとも線香花火の最後の輝きなのか・・・戸惑いながら日々過ごしています。ただ大阪の主治医が話した通り、人間ならとうに100歳を超えている犬生です。時に幼少期の記憶が蘇る事があったとしても、一日一日を何事もなく楽しく暮らしてくれたらよいと願うばかりです。
 さて、平蔵のお話もしたいと思います。本当に親馬鹿というか犬馬鹿ですが。平蔵は兵庫県宝塚市の出身です。かの有名な宝塚歌劇団、タカラジェンヌのいる町です。8年前まだ生まれて4ヶ月でしたが、兵庫の保護団体からやってきました。好奇心旺盛で、我が家に着いて早々から家中探検し、自分のテリトリーに突然現れた生き物に困惑する忠輔に突進! 忠輔の尻尾を玩具にして遊び、あげく遊び疲れて忠輔の懐に潜り込んで寝ようとする始末で、初日から傍若無人な末っ子の誕生となりました。
 それからというもの何をするにしても忠輔の後を追い、くっついて離れません。あまりのしつこさに忠輔がゲージに引きこもれば追って入る。忠輔のストレスが大き過ぎるかとゲージの扉を閉めれば外から体をくっつけて離れない。やがて数ヶ月後、平蔵の絶え間ないアタックに忠輔が全面受け入れ(あきらめ)したのです。それ以来当たり前の様に忠輔の懐で寝ている平蔵。何をするにも、どこに行くにもいつも一緒の兄ちゃん子です。忠輔が庭でトイレをしている間は玄関先でじっと座って帰りを待っています。私が呼んでも振り返るだけでその場から動きません。お互いが常に気になるようで一方の具合が悪い時他方は側から離れません。一見元気に思える平蔵ですが、腸閉塞で緊急手術もしています。また2歳過ぎからアレルギー疾患発症し、現在も大阪の皮膚科専門医の下で加療を継続しています。食事も専用食以外のものは口に出来ません。皮膚を観察するために短毛にしている平蔵にとっては、秋田の冬は寒くて仕方がないらしく、最近は暖房機の前に陣取りアッツアツになっています。服を着せると蒸れて症状が悪化することもあり、これから冬本番を迎えるに当たって妻は環境作りに日々試行錯誤しています。残念ながら私はほとんど役に立っていませんが。
 ともあれこれから二人と二頭、また新たな環境で日々の暮らしを積み重ねていきたいと思います。何卒宜しくお願い致します。
 さてそろそろ頂いたバトンをお渡ししたいと思います。バトンを受け取ってくれたのは、さくら内科・糖尿病クリニック院長の粟﨑博先生です。前回中通勤務時代のよき同僚でした。粟﨑先生宜しくお願いします。
 
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