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第38回医療を考えるつどい
長生きのコツとエンディングノート
“幸福な老いを迎えるために”
~あなたは、秋田で健康に長生きするにはどうしたらよいとお考えですか?~
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平成28年2月20日(土) 午後1時30分~午後4時40分
秋田ビューホテル・4階
 「健康寿命」は病気などで日常生活が制限されること無く、自立的に生活出来る期間のことで、世界保健機関(WHO)が健康の指標として提唱しています。国際チームの研究の結果、日本の健康寿命は71.11歳、女性75.56歳で世界一でした。さらに、日本は平均寿命も男性80.50歳、女性86.83歳と世界一です。しかし、健康寿命と平均寿命に男女ともおよそ10年の差があります。この差を少なくして健康寿命を延ばし、より幸福な老いを迎えるための「長生きのコツ」を考えます。

 「エンディングノート」とは万一の際の残された人への伝達事項を記載する者です。その作り方や必要性を知ることは、人生を振り返りまとめる際に役立つはずです。
 
 今回はテーマを「長生きのコツとエンディングノート~幸福な老いを迎えるために~」としました。現場の第一線で活躍されている方をお招きし、「長生きのコツ」と「エンディングノート」を軸としてディスカッションします。人生のゴールを見つめ直すことで、それまでの道のりを充実させることができるかもしれません。

たくさんのご参加をお待ちしております。
総合司会   小 貫   学  (秋田市医師会広報委員会委員)
あいさつ    松 岡 一 志 (秋田市医師会長)
祝   辞   穂 積    志 様 (秋田市長)
         小山田   雍 様 (秋田県医師会長)

-基調講演1-
「与命を考える」  秋田大学名誉教授 眞 木 正 博 氏  

-基調講演2-
「支援を受けて、ゆっくり自分で決め、それを記録に残す」 中京大学法科大学院教授 稲 葉 一 人 氏


-パネルディスカッション-    

司会  秋田市医師会広報委員会 担当理事 田 中 秀 則
                       広報委員長 市 原 利 晃 



パネリスト
● クリニック漫談「楽しく笑って長生き人生」
   すずきクリニック 院長               鈴 木 裕 之 氏

● 秋田大学名誉教授                 眞 木 正 博 氏

● 中京大学法科大学院教授            稲 葉 一 人 氏



アンケート結果
総合司会 (秋田市医師会広報委員会委員・小貫 学)
 本日は多くの方にお集まりいただきまして誠にありがとうございます。総合司会を務めさせていただきます秋田市医師会広報委員会委員の小貫学と申します。よろしくお願いいたします。
さて、最近はメディア等で終活という言葉をよく耳にします。誰しもが人生のエンディング、終焉を迎えるわけですが、長らく日本ではそのような話をすることがタブー視されておりました。しかし、最近は人生のエンディングの事前準備をすることが注目され、さらにそこから自分がどのように自分らしく生きていくのかを考える手段となっています。
 今回はテーマを「長生きのコツとエンディングノート」とし、様々な分野のパネリストの方をお迎えしました。今後をいかに幸せに楽しむかのヒントをいただければと思っております。そしてパネルディスカッションでは、会場の皆様と一緒に考えて行きたいと思います。
皆様のお手元にはアンケート用紙があるかと思います。アンケートは来年度以降の会の企画の参考にさせていただきますので、ぜひご記入をお願いいたします。
それでは開会に先立ち、秋田市医師会長 松岡一志よりご挨拶申し上げます。
松 岡 一 志 秋田市医師会長
 皆さん、こんにちは。秋田市医師会長を務めております松岡一志です。
 本日は週末のお忙しいところ、またお足元の悪いところ大変多数の方にお集まりいただきまして誠にありがとうございます。
 この会は秋田市医師会で主催しておりますが、今回で38回を迎える歴史のある会です。テーマはその時々の世相や医療界で話題になっていることなどを参考に広報委員会の先生方が相談して決定しております。広報委員会で決定されたことが理事会に上がって参りまして理事会で最終的に承認を得るという段取りになっています。今回のテーマのエンディングノートが協議題として上がってきたときに私は最初「ん」と思いました。ちょっとどうかなと感じましたが、まずやってみようかといった気持ちでした。今日会場に来るときにどの程度の聴衆が集まってくれるか大変に関心がありました。私は開始30分ほど前に到着したのですが、その時点で250人とのことでした。これほど多数の方に参加していただけたのは、今回のテーマ「長生きのコツとエンディングノート」が真に時宜に適ったテーマであったのだろうと思っております。
基調講演の1として秋田大学名誉教授の眞木正博先生をお迎えしました。先生は大正15年のお生まれで、昨年卒寿をお迎えになっております。今回の講演タイトルの「与命」は、もうどれだけ生きるかという「余命」ではなく与えられた命となっております。与えられた命をいかに生きるかというお話になるのではないかと推察いたします。
基調講演2では中京大学法科大学院の稲葉一人教授をお招きしてエンディングノートについての講演をいただきます。エンディングノートはウィキペディアによりますと高齢者が人生の終末期に迎える死に備えて自身の希望を書き留めておくノートとのことです。今医療の現場でも終末期の医療をどう決定するかということがしばしば問題になります。私はいわゆる団塊の世代で高齢者の範疇に入る人間ですが、子供たちには延命治療はしないようにということだけは伝えてあります。
今日は基調講演の後にパネルディスカッションもありますので、会場の皆さんにも参加いただいて意見交換ができればと思っております。
それでは本日もよろしくお願いいたします。
穂 積   志 秋田市長
 皆様こんにちは。ご紹介いただきました秋田市長の穂積志でございます。
 本日、この会場に多くの皆様が勉強のために駆けつけられており、秋田のご高齢の方は元気だなと嬉しく思っております。よく笑い話で、健やかに老後を生きるためには“きょうよう”、あるいは“きょういく”が必要だと言われております。私も生涯教育で勉強しなくてはならないのかなと思ったのですが、“きょうよう”は、今日用事がある、“きょういく”と言えば今日行くところがある、だと言います。人間は一人では生きていくことができず、人と交わって会話をすることが元気の源になるのだなと感じております。そういう発想の中でワンコインバスも制度化いたしました。これまで70歳以上の方々の1回の利用で100円となっておりましたが、年齢を引き下げて68歳からとさせていただきました。免許の返納運動がありますが、これは65歳からとなりますので、財政が許せば65歳くらいまで年齢を下げていきたいと考えております。
 太平山のグランドゴルフや河辺の温泉施設に行くと、「市長、いいことをしてくれた。コインバスのおかげで施設に来れるようになった」と声をかけていただくようになりました。これまでは400円、700円のバス代がかかったところを今は100円で行けるようになったこともあり、大勢の方が外に出るようになったのかなと思っております。
 私の父は93歳まで生きました。90歳になった頃、「仲間が誰もいなくなってしまった。自分の弔辞を読んでくれる人がいない」と言っておりました。生前葬をしようかという話もしておりましたが、結局生前葬はしませんでした。
 我々も生まれてきた以上は必ずあの国に行かないといけません。また、自分の人生ですので、人に代わってもらうことはできません。人生は一度きりです。その中で我々が今どのように元気に生きていくことができるのかということも、永遠の命題だと思います。今日は眞木先生をはじめ、医師会の先生方からご教示いただきながら、皆様には健康でこれからも元気にお過ごしいただきたいと思います。
 この会を開催された松岡医師会長様をはじめ、理事の先生方、そして医師会員の皆様に心から感謝を申し上げまして、お祝いの挨拶といたします。本日はおめでとうございます。
小山田 雍 秋田県医師会長
 秋田県医師会の小山田でございます。この会は今回で38回と、昭和50年代にはじまり、秋田市は早くから開催しております。秋田県医師会もこの会に非常に強く関わり、ご支援申し上げております。全ての郡市医師会でも開催しており、大変関心を集めております。
 本日のお話にも出てまいりますが、私どもは高齢社会の最先端を歩いていると言われています。高齢ということは非常に結構なことです。自立して健康な生活をする健康寿命と生涯の寿命の差をいかに縮めていくかということが大きな課題となっています。ご存じかと思いますが、秋田県の高齢男性の健康寿命と生涯の寿命の差は少ない方です。全国平均では10年くらいの差がございます。つまり、10年くらいはあまり健康ではない生活で生を終えるということです。秋田県の男性は9年を少し切るかと思います。私どもはそこをいかに縮め、健康寿命を長くするかというところに力を注いでおります。例えば、メンタルヘルスです。うつに対する専門医と協力医のネットワーク、認知症に対するサポート医と協力医のネットワーク、また、それに協力している医師の情報を世間に公開して、着々と成果を上げつつ頑張っております。
私は、数年前に日本医師会の中にある生命倫理懇談会という会に所属しておりました。そこでは最後にどのように生を終えるか、またはその逆の生命の誕生時に、妊婦さんの血液から出生前に胎児の異常が分かってしまうこと等に関する、いろいろな生命倫理的な議論を行った記憶がございます。その中でも、本日のエンディングノートにも関連するかもしれませんが、「リビングウイル」という、どのように自分の生涯を終えるのかという非常に大きな問題がございます。それに関連する機能を私どもは「かかりつけ医機能」と言っていますが、私どもの言うかかりつけ医とは、専門者と連携ができ、正しく広い医学情報、知識を常に持っているということ、医療のことだけでなく、ご家族のことや社会制度のことなど、生活全般にわたり幅広くご相談に乗れる医師を指します。それを目指そうということで、日々研修を積み、生涯研鑽という気持ちで活動しております。
私どもは健康寿命を少しでも長くするために皆様に寄与していこう、ということで活動しております。そこには当然高い倫理観が必要になります。私どもは国民、住民の方々への宣言として、医の倫理綱領を持っております。安全と高い質を求めながらもそこに高い倫理観を高揚させていこうという考えを絶えず持ち、活動しているつもりでおります。そして医療は、住民の方々と我々医療を提供する側との連携と共同に尽きるのだと思います。皆様との共通の意識、理解、信頼を常に保っていくように努力してまいりたいと思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
総合司会  それでは第1部の基調講演に入ります。基調講演は眞木正博先生です。では、眞木先生よろしくお願いいたします。
- 基 調 講 演 -
 「与命を考える」
眞木 正博(秋田大学名誉教授)
本報は秋田市および秋田市医師会主催の市民公開講座(平成28年2月20日)、「第38回医療を考えるつどい」において、基調講演として述べたものである。一部、追加部分があることをご了承いただきたい。
伝統あるこの市民講座でお話しする機会を与えられ、身に余る光栄と感謝している。今年の6月に満90歳を迎えることになるが、「与命を考える」などという大げさなお話をすることに、おこがましいことのようにも思っている。私はもともと産婦人科医であり、多くの生命誕生に携わり、またここ20年ほど介護老人保健施設で高齢者の介護や看取りにも立ち会っている。つまり、生から死までの仕事に携わってきたので、生死の問題を語りうる有資格者のひとりではないかとひそかに思っている。平均余命の言葉があるが、これは公用語なので認めざるをえないが、私自身は、余った命の余命ではなく、天から与った大事な与命であると考えるのがよいと思っている。
1.人の生涯
すべての生物にとって生は偶然の授かりものである。世界の人口72億人の中の半分の異性36億人から1人のパートナーに恵まれ、ひとつの生命が誕生したとする。1回の射精で放出される精子は1億であり、女性の生涯排卵数は400~500個であるから、まさに千載一遇の巡り合わせといえる。受精卵は胎児期・乳幼児期(受け身的受動期)、就学期(受動から能動への移行期)、成熟期(能動的活動期・再生期-reproductive age)を経て老年期となり、いずれ誰もが必然的に死亡する。多くの生物は生殖能力を失うと間もなく死滅するが、人間のみは生殖能力を失ってからも、それまで生きてきた年月にほぼ匹敵するほどの長生きをすることが可能になった。これはたかだかここ数十年の間の出来事で、人間にはこの長寿時代に備えての心の準備はまだ十分にはできていない。
 高齢人口が増え、「人は死なない」かのような錯覚をもっている方が多くなっているが、そんなことはない。人間を含めて、すべての生物は一定の寿命の後に、かならず死に至る。平成25年の厚労省統計によると、60代人口は約1800万人、加齢につれて減少し80代人口は700万人代、90代は35万人と激減し、百寿者は6万人と希になる。それでも、30年ほど前は600人程度だったから、百寿者の数は100倍も増えていることになる。それでも123歳以上にまで生き延びた人はまだ存在しない。
2.遺伝子支配下にある生物
人間を含めて生物の行動は、それぞれの種属毎の遺伝子の支配下にあり、基本的には個体保存および種属保存のための本能的行動をとる。ただし、高度に進化した人間の頭脳は精神活動を獲得し、文化を発達させ、本能的行動に任せるだけでなく、他の存在を認識し、お互いに豊かで幸せな生き方も求めてきた。
1)死を恐れる 
 死は個体保存や種族保存にも逆らうことであり、生物にとって最も忌まわしいことである。外敵に襲われた動物は身の危険に恐怖を感じ、敵を攻撃するか、敵から逃避するかの行動をとる。人間とて同じことである。死には恐怖の情念がつきまとい、その原因となる病や悪環境と闘い、不老長寿を求めて医学や薬学を進歩させてきた。
2)幸せを求める
人間は死を恐れるとともに幸せを求めて生きている。なにかの記事にフランス人高齢者の幸福度というのがあった。それによると、幸せだと感じている人が86%もあったという。その理由は一にも二にも健康とあり、つぎに身寄りがあり孤独ではない、周囲が安全安心である、自由感があるなどのことをあげていた。
 日本人の場合はどうだろうか。内閣府調査(2008)によると、現在の多くの日本の高齢者はあまり幸福とは思っていないようである。
アメリカのピューリサーチセンター調査(2014)によると、幸福感はアメリカ・ドイツ・イギリス・フランスなどの欧米諸国が上位にある。また、発展途上の国々も幸福感が高く、日本人の幸福度はGDPが高いのに世界最下位であったという。
日本人も西欧人も、親の保護下にある15歳頃までは幸福感が高く、競争が激しくストレスまみれの青壮年時代は幸福感が減る傾向にある。ところが、高齢者の幸福感には日本人と欧米人の間で大きな違いがある。つまり、欧米人の場合は高齢になるとU字型に幸福感が回復するが、日本人ではL字型で幸福感に戻りはないという結果であった。
日本の高齢者は介護保険制度の下に平等にそれなりに保護されている。また、日本の国民皆保険制度では誰もが、いつでも、どこでも平等に受診できることを保証している。おかげで世界一級の長寿国家であり、WHOお墨付きのすばらしい制度である。なのに、日本国民の医療や介護に対する満足度は低いとされている。なぜだろうか。考えてみると、日本人はいつももっと良いもの、さらに良いものをと完全なものを求め続けているから、現状には満足できないでいるというだけの話であり、心底、日本の医療や福祉は世界に比べて劣るとは思っていないのではあるまいか。私は昭和40年頃、ニューヨーク大学病院に留学していたが、貧富の差によって施される医療の質に大きな差があることに驚き、日本の国民皆保険制度は素晴らしいものと思った。
3.人の寿命
人間の最高長寿者はギネスブックによれば、フランス人女性のジャンヌ・ルイーズ・カルマンさんの122歳である。ついで、日本人の泉重千代さんの120歳とあったが、実は107歳であったことがわかり、ギネスブックから脱落した。なお、2015年4月1日亡くなった大阪の大川ミサヲさん(117歳)は存命中世界一長寿者であった。ともあれ、過去に122歳まで生存していた人がいたという事実があるからには、人間誰しも122歳頃までは生存する力を秘めているといえる。
百寿者(centenarian)にはどのような特徴があるのだろうか。ひとくちにいえば運のような気がする。ただし、「人間の運命は人間の心の中にある」というサルトル(フランスの実存主義哲学者)の言葉、「運命は性格のなかにある」という芥川龍之介の言葉も忘れてはなるまい。
長寿には遺伝的な素因もあり、兄弟姉妹に百寿者がいれば、百寿者になる可能性は、一般の人の10倍は高い。喫煙、肥満、高血圧、糖尿病、心血管病などのある者は百寿者になることは希である。百寿者には長寿遺伝子(sirtuin)をオンにさせる生活習慣、例えば、腹八分目・ウォーキングなどを心がけている人が多い。また、よく笑い、ストレスにうまく付き合える人が多いとされている。ものごとをやるのに面倒くさがらない。実は、大事なことほど面倒なものである。
日本人の平均寿命(2015.7.30)は男性では80.50歳、女性では86.83歳であり、世界の最長寿クラスである。ただ、日本人の長寿に対していろいろな意見もある。たとえば、介護施設入所者の経管栄養の多さを見てつぎのような言葉があった。
ある政治家「自力じゃなく金で買っている長寿じゃない?」、イギリスの健康福祉関係某高官「はは-ん、これが日本の世界的長寿の元なのですね」、あるアメリカの友人「Are they really happy? 彼等彼女等は本当に幸せなのでしょうか?」、国境なき医師団の関係者「この金の一部でも世界の飢えている子どもたちのために使わせてくれたらなぁ」、韓国マスコミ「日本の高齢者死後無届け放置の報道以降、日本の長寿統計は信用に値しない」などなど。
 欧米人の多くは老衰して食べられなくなったら人生は終わりと考えている人が多いようだ。日本の現状は経済的余裕に支えられ、生命最優先の考え方が基本になっている。日本の高齢者にはありがたいことであるが、貧困国にも少しは目を向けて欲しい。
4.寝たきりは日本特有のもの?
 外国人には日本人のような寝たきり老人はいないという。それには、それなりの理由がある。外国の机と椅子、ベッド生活などは個室で自由に動ける環境であり、寝たきりにさせない工夫をしている。
 畳・卓袱台・布団生活、和式トイレはある年齢までは足腰の鍛えにはなるが、いずれ負担が大きくなり、高齢者の寝たきりを招きやすくなる。年齢や体力に応じた生活様式を考える必要がある。
 外国では自力で食べられなくなっても、人工栄養補給は受けない。単なる延命措置は非倫理的、独善的な行為とみなし、無理な延命措置はせず、自然な死を迎えるのが高齢者の尊厳を保つ最善の方法であると考えているようである。日本人ではそこまで徹底はしていない
5.天寿を妨げるもの(短命化因子)
日本人の平均寿命は、男女平均84歳で世界一級の長寿国である。しかし、世界最高長寿者は122歳であるから、そこには約40年という大きな差がある。多くの人は最高の天寿達成を妨げるいろいろな因子、つまり短命化因子に曝されて命を縮めているといえる。短命化因子にはつぎのようなものがある。
1) 遺伝的負の要因
生命維持に必要な遺伝子異常によって受精卵死が起こる。その詳細な頻度はわからないが、10~50%もあるとされている。遺伝子異常によって老化が病的に早まる早老症などもある。それにはウェルナー症候群、コケーン症候群、ダウン症候群などがある。
ことの是非は別にして、遺伝子操作によって、人間は150歳ころまで生きる可能性があると推測されている。もしそれが実現したとしても、それは生産能力の旺盛な成熟期の延長ではなく、単なる非生産的老齢人口の増加をもたらすだけなら、幸福な世の中とは思えない。世界的食糧不足による大混乱も招きかねない。浅はかな人知のために禍根を残すようなことがあってはなるまい。
2)死因統計からみた短命化因子
死亡原因は国別や年齢によって差異があるが、先進国では癌、心・血管疾患、肺疾患、脳卒中、不慮の事故死が共通5大原因であり、いずれも生活習慣が大きく関係している。米国疾病対策センターによると、5大死因である癌の21%、心血管疾患の34%、慢性閉鎖性肺疾患の39%、脳卒中の33%、不慮の事故死の39%は予防可能であると指摘している。若いときには不慮の事故や自殺などが重要な死因になっている。戦争や紛争も問題だ。以下に自殺、不慮の事故死、戦争や天災についてだけ述べる。
3)自殺
日本人の自殺率は高い方である。OECD(経済開発協力機構)には34カ国の先進国が加盟しているが、自殺率の高い国は韓国、ハンガリー、ロシア、そして日本となっている。日本の死因統計をみると、20~39歳の死因の第1位が自殺である。高齢者では癌を始めとする前述の四大疾患の比重が高く、一見自殺が目立たなくなるが、老人の自殺も依然として多い。自殺の原因としてうつ病の比重が高いが、その他、経済苦、病苦、虐めなどによるものもある。いずれも痛ましいことであり、周囲が察知して予防したい。自殺は予防が可能なものが多く、WHOでは9月10日を自殺予防デーと定めて、社会問題として防止すべきものとしている。
4)不慮の事故死
これは危険知らず傾向のある5~19歳頃の首位の死因である。また、高齢者でも全般的心身機能の低下に由来する各種事故が頻発している。1位は窒息死で小児では異物、高齢者では食物誤嚥が多い。2位は入浴中事故(206人/2014-秋田県)、3位は交通事故であるが、総数は最近半減している。しかし、高齢者の事故比率は高い。4位は転倒転落である。
一方、天変地異も宇宙のどこかでいつも起こっている現象であり、不可避の宇宙の営みともいえる。地球でも地震、津波、台風、洪水、火山爆発、隕石落下などが起こっている。個人個人にとっては、一生に一度あるかないかの希な出来事かもしれないが、宇宙全体からみれば常在の現象なのである。天災などという不運には遭遇しないようにただ祈るだけである。
5)戦争
戦争は、その規模によっては、膨大な数の犠牲者を生む。軍人だけではなく、一般市民、婦女子までも巻き込む。終戦直後の昭和20年の日本人の平均寿命は男24歳、女38歳程度だったとの報告がある。終戦後の昭和22年には男50歳、女54歳と回復していることから、戦争犠牲による短命であったことは明らかである。
現在の世界の長寿国をみると、いずれも最近は大きな戦争をしていない。戦争がないということは、その国の平均寿命の延伸に深く関係している。世界一の経済大国であり、医療先進国といわれるアメリカの平均寿命が世界34位と低いのは驚きだが、世界の警察として、ベトナム、アフガニスタンやイラクなどで多くの若者の戦争犠牲者を出したことも影響しているのではあるまいか。オバマ大統領は「今後、世界の警察役は止める」といっているそうだが、実現すれば長寿国ランクはぐんと上がるだろう。戦争とまではいかなくても、民族間紛争、異宗教間紛争、個人間諍いによる死亡も見逃せない。
「諍いのなかからはなにも生まれない」ということを世界的なスローガンにしていかなければならないと思っている。
6.長寿のために
1)生活習慣
長寿のためのよい生活習慣としてブレスロウ(Breslow、カリフォルニア大学)はつぎの7項目をあげている。これらをよく守れば、そうでない人に比べて10年は長生きできるといわれている。
  ・適正な睡眠時間(8時間/日)
  ・喫煙はしない
  ・適正体重(標準体重)を保つ
  ・過度の飲酒をしない
  ・定期的に運動をする
  ・朝食を毎日とる
  ・間食をしない(肥満防止と歯の健康維持)
 当たり前のことだが、これらを単なる知識として覚えていてもなんの役にも立たない。智慧として実行を伴うものであってほしい。このような生活習慣を守り続けたブレスロウご本人は97歳の長壽で2012年に亡くなったが、95歳までは元気で執筆活動を続けられていたという。また、日本の生活習慣病予防の提唱者であり、実践者でもある日野原重明氏は2015年に心房細動がみつかったが、104歳で矍鑠としているようだ。
2)食生活
動物は摂食によって生きるためのカロリーを得ている。人間には薬食同源という言葉もあり、食は薬ともみなされている。長寿であった両親の食生活は医師である私の目からみても理想的なものに思えた。そこには母なりの食に対する理念があった。
哺乳類の子育ての源であるミルク類(乳汁・ヨーグルト・チーズなど)、命の源になる卵(鶏卵・魚卵など)や種子類(米麦などの穀類・芋類・豆類・ゴマなど)は生きていくための大事な養分で欠かせない。さらに栄養のバランスをとるために、色合いの違うものや海のもの・山のもの・里のものなど産地の違うもの(海産物・農畜産物)など多種類のものを選ぶというものだった。
 因みに、昨年9月30日の私の食事を示す。勤務日の昼食は給食の検食であるが、朝食と夕食は原則として手作りである。糖尿病であることを意識して菜食を中心にしている。
朝食は五穀米(+ゴマ・クルミ・シソなど)、黄粉入りヨーグルト、納豆、味噌汁、季節の果物や野菜など約20種類。
昼食は施設提供の検食でご飯・味噌汁・鮭・タラコ・柴漬け・芋の子・おろしミカンなど 12種類ほど。
夕食は具材の多い煮漬け、ジャガイモとニンニクのオリーブ油炒め、チーズ、鰊、その他野菜や果物など合計約20種類。
お酒は好きで止められず、夕食後のパソコン仕事中に嗜んでいる。酒量はウイスキーにして10日間に1本程度。
 和食は平成25年に世界無形文化遺産に登録された。過去に登録されたものには、フランスの美食料理、イタリアなどの地中海料理、メキシコの伝統料理、トルコのケシケキ(麦がゆ)料理などがあり、ついで日本の和食となっている。
日本食には、五法(生、煮る、焼く、蒸す、揚げる)、五味(酸味、苦味、甘味、辛味、塩味)、五色(白、黒、黄、赤、青)、五適(適温、適材、適量、適技、適心)、五覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)の特徴があり、健康食としても世界から認められている。食事の前後の「いただきます」「ご馳走様」の言葉も忘れないようにしたいものである。
3)ストレスとレジリエンス
ストレスとレジリエンスは本来、物理学用語である。ストレスは外圧に対するひずみのことであり、レジリエンスはひずみを戻そうとする力である。それらが転用されて心身医学的用語として使われている。
ストレスは外部刺激に対する過剰な心身反応であり、現代人の生活はまさにストレスまみれといってもよい。
レジリエンスはストレスからの回復機能であり、誰もがもっているが個人差が強い。レジリエンスのためには笑いのある人付き合いは最良の方法である。禅やヨガなども好まれている。
4)メディア漬けへの注意
最近新たな生活悪習慣としてメディア漬けがあげられている。日常生活の視聴覚メディア、例えばテレビ、スマホ、パソコンなどに釘付けになっている、いわゆるメディア漬けが問題だと日本医師会では指摘している。小児では肥満増加、体力低下、注意力散漫、学力低下、睡眠障害、digital dementia などを招きやすい。
成人でも、座ったままでテレビに夢中になり、煎餅などをポリポリ食べて 肥満や変形性膝関節症を招いている場合(ポリセン症候群)が少なくない。
アメリカでは座り続けは喫煙被害に匹敵する(Sitting is the new smoking.)とのスローガンを掲げて、長時間座位の弊害を喧伝している。私も賛同してここ数年来推奨し続けている。2015年11月11日のクローズアップ現代でも取り上げられていた。
5)疾病予防 
疾病予防にはいろいろなものがあるが、その効果が確実なものには次のようなものがあり、ぜひ活用していただきたい。
  ・すべてのワクチン 高齢者では肺炎球菌ワクチン
  ・癌検診による早期発見と早期治療
  ・便潜血検査で大腸癌死亡15~33%減少
  ・転倒防止・骨粗鬆症(ロコトレ・薬物)
  ・動脈瘤(高血圧・動脈硬化・喫煙防止など)
7.日本の人口減少問題
日本人人口は2008年の1億2千8百万人をピークに、2015年は1億2千6百万である。人口を維持するためには合計特殊出生率(夫婦間で生涯に生む子ども数)は2.08必要である。現在の1.42がこのまま続けば、2030年に1億1千6百万、2060年に8千6百万、今世紀末には現在の半分以下の5千万人に縮小すると予測されている。これは約100年前(明治末期-大正初期)の人口である。ただし、当時の人口構成はピラミッド型であり、若者に満ちていた。これからの日本は逆ピラミッド型で進行し、高齢化率は40%に達する。50年後も1億人維持のためには1.8の出生率でなければならない。
フランスの歴史人口学者で親日家であるエマヌエル・トッドは「日本はもっと結婚や子育て環境の整備に勤め、移民にも配慮すべきではないか」と述べていた。
1)人口減少に対する楽観と悲観
人口密度(1平方キロメートル当たりの住民数)から考えると、イギリスは261、 ドイツは226、 中国は141、日本は336で圧倒的に高い。ちなみに、日本の最過密地区といわれる東京都豊島区はなんと21881である。日本は他国に比べて、山岳地帯が多く、平野部が少ないので住みにくい。人口が減っても一人当たりの生産性を高めれば、一人当たりの国民所得は維持向上できる。歴史的には、人口減少・停滞期に文化・平和の成熟が起こったという事実がある。例えば、江戸時代やルネサンス期である。だから、日本は多少の人口減少があってもよいと楽観的に考えることができる。
一方、悲観面もある。個人所得が多少向上しても、固定費(福祉、国防、治安、防災など)維持難が起こる。人口が減少して国威が上がった国は歴史にはない。日本の世界における相対的地位が低下し、アメリカからは弱視される可能性もある。人口減少が意味するものを国も国民も真剣に考える必要がある。先進文化国家は概ね人口減少傾向にあるが、フランスは子育て優遇の政策をとっており、人口は維持されていると聞いた。政治家は選挙権のある老人たちを優遇する策を講じるが、選挙権のないものには冷たい。胎児や未成年者にも親が代行できる選挙権を与えると、未来志向の政策が展開されると思うがいかがなものだろうか。あまり根拠のあるものではないが、日本の最低妥当人口は7~8千万、望ましい人口は1億あたりとなるのではあるまいか。 
2)高齢化社会
 高齢化社会にはいろいろな問題があり、それなりの対策が要求される。少子高齢化により逆ピラミッド型の人口構成となり、生産性の低下と要介護人口が増える。現在行われている国による教育・福祉厚生事業の継続は困難になる。次世代への負担が増大する。このような苦境を乗り越えるために、高齢者でもできることは自らの健康長寿を保つことであり、それがなによりの社会貢献である。ここで元米国大統領ケネディの言葉を思い出した。「国が国民のためになにをしてくれるかではなく、国民が国のためになにをすべきかを考えるべきである」
3)俳人・金子兜太(96歳)の言葉
前衛派俳人の金子は「文藝春秋 2016年の論点100」のなかで、「長生きすると考えるのは体に悪いのではないか」と言っていた。ところが、実際は、好きなタバコもお酒も止めている、93歳で胆管癌の手術を受けている、朝方の2時間に俳句の添削やもの書きをやっている、食事にも十分気遣っており、牛肉が好きである、自分でよいと思うことをやる、悪いと思うことはしない-ただそれだけの話と続いていた。言っていることと行っていることはまるで違う。金子さんには、「長生きのためには精進が必要だ、俺を見習え」と言ってほしかった。
8.死生学(生死学)
数ある動物種のなかで、人間は死者を埋葬する唯一の動物である。この埋葬儀礼はネアンデルタール人にまでさかのぼるとされている。人類はそれ以来の長い歴史の流れの中で、死に対する態度、つまり死生観を培ってきた。
サナトロジー (thanatology)という言葉がある。thanatos(死)とlogy(学)との合成語で、death science(死科学)、death study(死学)を意味する。比較的新しい言葉で、一部の辞書にはまだ掲載されていないものもある。日本語では死生学と訳されていることが多い。生物学・医学・哲学・倫理学・経済学・心理学・民俗学・文化人類学・宗教・芸術など、あらゆる側面から死生観を解き明かそうとする学際的な分野である。死生学は安楽死、病名や医療の告知、緩和医療、脳死や臓器移植問題などを背景に、1970年代から急に注目され始めた。日本語として「死生学」の言葉が公式に用いられたのは1977年に大阪で開催された「日本死の臨床研究会」が最初とされている。
1)死生学(しせいがく)か生死学(しょうしがく)か
死を学ぶことは、同時に生を学ぶことでもあり、また死生観という言葉もあることから、死生学という命名は当を得たものである。また、死を主題にするものなら、死生学は正しいし、その語呂もよい。しかし、長い生が先にあって、その後に瞬時の死に至るという観点からすれば、「死生学」というよりは「生死学」という言葉の方がより妥当なような気もする。
死生学は生命倫理などを含む比較的新しい学問分野であるが、その精神は古く仏教のなかにもみられる。「生老病死」という言葉は原始仏教の経典とされる阿含経のなかにある。また、般若心経の普門品偈(解説本)といわれる修証義には次のように書いてある。
 「生(しょう)を明(あき)らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃(ねはん)と心得て、生死として厭(いと)ふべきもなく、涅槃として欣(ねが)ふべきもなし、是(この)時(とき)初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽(ぐうじん)すべし、人身得ること難し、仏法(ぶっぽう)値(あ)ふこと希なり、今我等宿善の助くるに依りて、己に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇ひ難き仏法に値ひ奉れり、生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すこと勿れ」と。ここには仏教的生死観がみごとに描かれている。
死生学の言葉を否定しようとする意図などはさらさらないが、日本に住みつき、多くの日本人の生活に馴染まれてきた仏教に根ざし、「生死のこころ」を念頭においた「生死学(しょうじがく)」という言葉も捨てがたいと思って使っている。
以前の医学概論のなかには「死」の論及がないものもあったが、最近の医学概論ではようやく取り上げられるようになった。例えば、森岡恭彦の新医学概論では263頁中14頁も割いていた。アメリカのThe Merck manual of Diagnosis and Therapy-Merck Res. Lab.の日本語版であるメルクマニュアル・診断と治療-日経BP(2015)では3369頁中10頁の記載があったが、アメリカのメルクマニュアル相当の日本の「今日の治療指針-医学書院」には1966頁中ひと言もふれていない。
9.納得のできる死
最近、「理想の死に方」、「悔いなき死」とか「うらやましい死に方」などというタイトルの文章をよく目にする。
死に対する恐怖は理性を越えた本能的情念であり、「うらやましい死」などはありえない。すくなくとも、他人の死に対しては言ってはならない言葉だと思う。しかし、万人に漏れなく死が訪れるのであるから「納得のできる死」という表現なら許されるのではあるまいかと、常々考えている。
納得のできる死の条件とはつぎのとおりである。
  ・生活の質(QOL)を保ちながら天寿の域に達していること
  ・身に苦痛はなく、心は豊かで安らかである
  ・回りに感謝のできる状態である
若くして、苦しみながらも難病と戦い、最後まで立派に生き抜く方もいる。それは尊敬できる生き方・死に方とはいえても、「納得できる死」あるいは「うらやましい死」とはとても思えない。人生半ばの死であり、天寿死とは思えない。
ダライラマ14世の言葉に「安らかな死を望むなら、心のなかに、そして生き方のなかに、安らぎを培っておかなければならない」とある。
10.死後のこと
 死んでしまって死の経験を語れる人は一人もいない。従って、死後のことはすべて憶測であるともいえる。
科学的に考えれば早晩土に帰ることだけは確かなようだ。哲学的に考えれば、哲学とは未知のことをとことん求める学問であるから、死は哲学の永遠の対象といえる。遺伝学的に考えれば、生物は子として再生産され、復活に相当する。宗教的にいえば、精神は肉体を離れて永遠であると説く。そう考えれば気が楽である。そして、人間は死者を尊んできた。物理学的に考えれば、まだまだ未知の粒子などがありそうで、死後の謎を解き明かしてくれるかもしれない。
人間的に考えれば、死後の世界などはないと思いつつも、一方では死後の世界はあってほしいとひそかに願っている。 
仏教用語に「臨終正念」という言葉がある。人生の最後に臨んで念ずべきことで、つぎのような内容である。
「如来様(釈迦・薬師・阿弥陀)やご先祖が迎えにきてくれる、そこには美しい七色の空がある、そこには二五菩薩様がいる、祇園精舎の鐘の音が聞こえる、そこに自分は静かに迎え入れられる」というものである。なお、祇園精舎とは須達長者がインドのコーサラ国舎衛城の南(祇園)に釈尊およびその弟子のために建てた僧坊とされている。
11.考えてみよう県民健康
秋田県は自然に恵まれ、豊かな農畜産物と海産物とがあり、学童の学力・体力ともに日本のトップクラスにある。ところが、癌・脳卒中・自殺などによる死亡が多く、最短命県となっている。
最近日本一の長寿県となった長野県に見習うべきであり、長寿県から脱落した沖縄県は反面教師である。秋田県は日本一歩数の少ない県であり、塩分好みの県民であり、短命につながっている。かかりつけ医を持って気軽に相談して、自分自身の健康を守っていただきたい。
12.好きな言葉
 私にはいくつかの座右の銘のような言葉がある。ここではふたつだけあげてみる。
1)神よ与え給え
「神よ、変えることのできないものについては、それを受容する心の平静さを、変えるべきことについては、それを実行する勇気を、そしてこの両者(変えることのできるものとできないもの)を区別する知恵をわれわれに与え給え」というものである。
この祈りはアメリカの神学者 Reinhold Niebuhr(1892~1971)がマサチューセッツ州西部の山村の小さい教会で、1943年の夏に説教したときのものとされている。
2)一休(室町中期の臨済宗僧侶)の言葉
仏法とは障子の引き手、峯の松、火打ち袋、鶯の声のようなもので、それらがないからといって日常生活に特別な支障はないが、それらがあることによって生活に素晴らしいゆとりができる。
13.写俳
これは写真と俳句とを組み合わせにしたもので、写真と俳句の合い足らざるところを補い合って描写を楽しもうとするものである。写俳をやるためにはWalking(歩く)、Watching(ものごとをよく観察する)、Writing(書き留めておく)の3つのW言葉が必要であり、高齢者の心身の健康維持に役立つと思って、楽しみながらいまも続けている。 
14.写俳提示
 以下は印刷経費の関係上、写真は省略して添付句のみをあげる。
お彼岸や笑み豊なる彫り仏
辛夷(こぶし)咲き眠れるカメラ目を覚ます
花枯れを曝すことなしヒツジ草(睡蓮)
触れなばや崩れんばかり薔薇の花
霧の立つ仁別の森や墨絵ごと
先祖霊宿るが如し百日紅
冬秋を住み分けてあり出羽の富士
雪国や神々宿る別天地
男鹿の海波風立てず冬休み

おわりに
 人の命には多分に運・不運的な部分があるが、「運は心の中にある」という先人の教えもあり、努力精進なしの天任せというわけではないようである。
日本はいま少子高齢化社会の世界の最先端を走っており、その在り方を世界は注目している。生命の尊厳を保ちつつ有終の死を迎えるためには、公的・私的財力、知力・智慧が必要である。高齢者は自分の生命を単に天に任せるだけでなく、健康長寿を保つ努力をし、国家や子孫の将来を思い、それらを守る思考を維持することがなによりの社会貢献と考えるが、いかがなものだろうか。
総合司会 ありがとうございました。引き続き第2部の基調講演を始めたいと思います。演者は稲葉一人先生です。どうぞよろしくお願いいたします。
- 基 調 講 演 -
「支援を受けて、ゆっくり自分で決め、それを記録に残す」
稲 葉 一 人(中京大学法科大学院教授)
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座長(三浦副会長)
 稲葉先生、ありがとうございました。では、ご質問のある方はいらっしゃいますでしょうか。
参加者
 本日はエンディングノートのお話を伺いましたが、以前稲葉先生には高齢者住宅の学習会に公証人役としていらしていただいたことがありました。その際に、遺言書をどの程度の人が出すのか伺ったところ、秋田市の場合は1~2%と全国に比べかなり少ないとのことでした。私もそうですが、やはり遺言書を書くことは面倒だからでしょうか。エンディングノートはこれから書こうと思っているのですが、法律的にエンディングノートだけで裁判所は認めるものなのかどうかお伺いしたいのですが、いかがでしょうか。
稲葉
 とてもいいご質問だと思います。先ほどお話ししたように事前意思の「リビングウイル」という法律制度はありません。したがって、厳格に言いますと、エンディングノートがあったらそのとおりにしないといけないということにはなりません。しかし、書面の意思表示がある場合、これはエンディングノートのことを意味しておりますが、「この人は今こうして欲しいだろう」という現在の意思を考える有力な資料になるだろうということは言えると思います。こういう問題が裁判所に持ち込まれることは日本では非常に少ないです。むしろ臨床の現場で本人の書面の意思が尊重されるであろうということが前提になっていると思います。これが今全てこうなっているかというとそうではありません。皆さんにエンディングノートを作っていただき、私たちもこういうルールを公表し、医師会や医療を従事する方がその人の意思をできるだけ尊重していくようにするという、このようなことが3つくらい連合しないとここはできていかないと思います。答えとしては、裁判所は多分そのようにすると思いますが、法的な裏付けが今のところはないというところです。
参加者
 もう一つ伺いたいのですが、成年後見人はかなりの費用がかかるため件数が少ないと聞きます。医療の関係でも家族や友人に連帯保証人になってもらったりしますが、成年後見人はこれにも当てはまると思いますが、どうなのでしょうか。
稲葉
 成年後見人というのは、ご本人がまだ元気なときに、成年後見人を選ぶ「任意後見人」という制度と、ご本人の判断能力がなくなった場合に、ご家族や市町村長が裁判所に申し立てて成年後見人を選任する2つの場合があります。この成年後見人は裁判所が選んでいるのですが、基本的には財産管理と身上監護と言われております。実は生活上の基本的な行動くらいしか権限がないと言われています。例えばインフルエンザワクチンを接種したいというとき、普通の成人であれば同意してもらわないとワクチンを打つことができません。それを成年後見人が代理してくれるかというと、もし弁護士が成年後見人になっている場合は「同意権がないからできない」とおっしゃると思います。そういう意味で、成年後見人というのもエンディングノートとの関連でどういう風に役立つのかということが日本ではまだまだ議論が充分ではないのです。成年後見人の方々の権限を高めるような方向性も今、立法上議論に当たっているところです。だからきちんと動かないところもあるのですが、今おっしゃっていただいたような問題事例を踏まえて少しでも前向きに進めていきたいと思っています。
つまり本人の意思を尊重できるように、尊重するに当たっていろいろと制度を整理していかないと多分出来ないと思います。今はそのような状況なのではないかなと思っております。
参加者
 どうもありがとうございました。
座長
 稲葉先生、ありがとうございました。
パネルディスカッション・質疑応答
司会  秋田市医師会広報委員会担当理事  田中秀則
     秋田市医師会広報委員会委員長    市原利晃
総合司会 ディスカッションの前にもう一方、演者の先生をお迎えいたします。鈴木裕之先生です。それでは鈴木裕之先生改め南々亭骨太さん、お願いいたします。
クリニック漫談「楽しく笑って長生き人生」
鈴 木 裕 之 (すずきクリニック院長)
  (要旨)
 男性は健康寿命71歳、平均寿命80歳、その差9年あります。
 女性は健康寿命74歳、平均寿命86歳、その差12年あります。
 その健康寿命を延ばすことで人生は格段に楽しくなります。
 そのための秘策は「笑うこと」です。「笑い」には健康寿命を損なうがん・認知症・脳卒中を防ぐ効果があることが確認されています。
 笑って健康寿命を延ばしましょう。
総合司会 鈴木裕之先生、ありがとうございました。では、これからパネルディスカッションを始めたいと思います。座長は田中先生、市原先生です。よろしくお願いします。

田中 こんにちは。秋田市医師会の田中でございます。鈴木先生の漫談が大変盛り上がりましたので、この雰囲気を引っ張ってのパネルディスカッションは大変なものがありますが、楽しく行っていきたいと思います。先ほど、眞木先生のご講演の際に男鹿の写真が映し出され、死後の世界には七色の光があるというお話をしていただきました。それを見て、死後の世界はこんな感じなのかなと思った次第です。それではさっそく始めたいと思います。私田中と、秋田市医師会の市原が司会を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
 最初の基調講演で、眞木先生から長生きのコツを聞き、皆様参考になったと思います。食事の話など、いろいろなお話がありました。また、基調講演の第2部では、稲葉先生からエンディングノートのお話がありました。はじめに眞木先生からお話を伺いたいと思います。眞木先生は、エンディングノートは書いていらっしゃるのでしょうか。
眞木 65歳になり、大学を定年になったときに遺言書のようなものを書いております。書いてはいますが、特に残すような財産はありませんので、その後見直してはいません。人は必ず死ぬものです。だから私が死んでも、みんな仲良く過ごしてくれと子どもたちには伝えています。遺言書にもそんな風に書いています。
 それからもう一つ。最近は皆さん10年も若者返りしています。そのため、人は死なないものと勘違いしてしまう人が多くなってきました。実際は必ず死ぬものです。だから、あまりじたばたしても仕方がないという考えで、神様仏様に朝晩お祈りしながら心安らかに生きたらよいのではないかと思います。何かの本に書いてありましたが、犯罪を犯した子どもたちを調べたところ、凶悪な犯罪を犯した子どもの家庭には仏壇も神棚もないと書いていました。そのようなことがないように、ぜひ仏壇、神棚を置いて欲しいと思います。
田中 ありがとうございました。本日のお話を聞いて、皆さんもエンディングノートを書いてみようかなと思ったかと思いますが、近くのお店で大学ノートを買い、できればお子さんがいるときに書いたらいいのでしょうか。また、エンディングノートは何歳から書いたらいいのか、また何から書いたらいいのか等、いろいろと疑問があると思います。それについてアドバイスをいただければと思います。
稲葉 エンディングノートを書くに当たってのルールがあるわけではありませんが、例えば我が家では、母に一冊のノートを渡して、どうしてもらいたいのか等、気になったことを書いてもらうようにしています。今は、長男の私が東京や名古屋にいることが多く、母は大阪にいますので、大阪に住んでいる妹と弟がたまに行っているようです。私が行くと、母は昔の話をよくします。そのような話はしっかり聞かないといけないかなと思っています。おじいちゃんはどんな人だったか、おばあちゃんは子ども時代どんな生活をしていたか等、そのような生活歴を書いておいてと母には話しています。以前、父が胃ろうをするかどうかというときに、胃ろうはできませんでした。そのため鼻チューブを使っていたのですが、それを見て、母は自分はああいう風にはなりたくないと言っていました。そんなことでいいから書き留めておいてと話しました。それで最期の全てを決めるわけではないですが、母のそういう気持ちや性格を母自身の字で書いていると、兄弟みんなが納得しやすいだろうと思うので書いてね、と話したところ、私が行ったときには母から聞いたことを私の手でも書いたりもするようになりました。どちらかと言えば書く人の日記帳のようになることもあると思います。そういうものを今は作っていただいたほうがいいのではないかと思います。私たちが作成した「4つのお願い」という本があります。それはエンディングノートを具体的にチェックしたり書き込むようなフォーマットになっています。ある程度の内容について家族とやりとりができたら、これについてはこうしよう、ということを、エンディングノートのようなもの、もう少しフォーマットの決まったものに書き込んでいくようにしたらどうかなと思いました。私は母に最初から、例えば「挿管する・しないに○、×をつけて」ということをするわけではなく、もう少し自分がどう生きたいのか、どんなことを考えているか、どんな人格でどんな人間経験を持っているのかということを、普段あまり会えないため、会ったときに書いてもらったり、一緒に話したときのことをお互いに備忘のような形で残していくという、今さら母と交換日記をしてもしょうがないのですが、そのようなものを作りながら、ある一定のところに来たら医療や介護のことについてどうするのかを作っていけばいいのではないかと思います。
 時には「公正証書を巻く」と私たちは言うのですが、公正証書の中で事実の部分について公証人の前で書くと、それなりの根拠が与えられるということがあります。そのようにされている方もいらっしゃると思います。もし、今全くやっておられなければ、最初からすぐに形にしなくても、そのプロセスを大事にするところから始められてもいいのではないかと思います。

市原 これまでエンディングノートは自分の価値観を表現するものだと思っていましたが、稲葉先生のお話を伺って、表現するよりもむしろ自分の価値観を自分の周囲に馴染ませるためのプロセスの方が大事だという風に感じました。最近、エンディングノートは銀行などでも簡易的なものが配られていているため、書き始めている人が増えてきていると思いますが、やはりプロセスよりも自分の価値観を表現することに重きが置かれていると感じます。
もし、実際に臨床の場で意思表示ができなくなった患者さんが隠し持っていたエンディングノートが見つかって、そこには人工呼吸器は付けて欲しくないと書かれていたとします。しかし、ご家族はどうやっても生きて欲しいので人工呼吸器を付けて欲しいという場合、我々は臨床医、主治医としてどうするべきなのでしょうか。
稲葉 私は日々、臨床の現場の倫理的な問題の相談に乗っていますが、今おっしゃっていただいたようなことは非常に難しい事例だと思います。しかし、頻繁に起こるような事例なので、そのような事例を現場の人だけでなく、例えば医師会で倫理研修をする等、少しサポートするような仕組みがあればよいのではないかと思います。研修会などで事例をベースに議論することを繰り返すしか仕方がないのではないかと思います。そこでは、理屈で「本人がそう決めているのであればそれを尊重する」という風にきれいに割り切れない部分もあったりします。その部分は法律では明確でない領域ですので、やはり事例をベースに議論をしていただくということだと思います。臨床医だけで悩むのではなく、ご家族やナース、在宅を行っている介護の方も集めて一緒に研修を行い、それでも上手くいかない場合は少しチームの外にある人をサポートするような仕組みを今、いろいろなところで作ろうとしています。そういうものを並行して使っていただくということではないかと思います。
市原 今、医療関係では地域包括ケアということで、医師だけでなくみんなで決めていこうとしています。個人的には、地域包括ケアの中で、患者さんやそのご家族が一番重要な仲間として必要なのではないかと思っています。その中でのエンディングノートは、書かないといけないものというよりは一つの道具として捉えた方がいいのかなと感じました。ありがとうございました。
 骨太先生改め鈴木先生、私も外科医として先生からいろいろとご指導いただきましたが、同じように悩まれたこともあると思います。そういった場合にどのように対処されていましたか?
鈴木 やはりそういう場に立ち合うことも多かったです。ただ、自分の気持ちとしては本人の意思を尊重するべきだという考えできましたので、私はご家族を説得にかかりました。治療を行ったときのメリット・デメリットをお話をした上で、「ご本人がそう思われているようであればそうした方がよいのではないでしょうか」というお話をご家族にしてきました。
市原 やはり話し合いですね。そして、話し合って結論を出すことよりも、話し合っている課程、プロセスが大事だということなのでしょうか。
鈴木 そうですね。どうしても皆さん結論が先にあって、なぜその結論になったかが、なかなかみんなの共通認識になっていないのです。おじいちゃんがなんでそう考えたかというところも大事なのですが、我々が知っている“やったらこうなる”という情報も一度伝えて、その上で納得してもらうことも大事かと思います。
市原 稲葉先生からスライドで示していただきましたが、「自己決定のための情報を提供して、決定を支援する」ということが一番最初にないといけないわけですね。ありがとうございました。
田中 眞木先生、私は現在51歳なのですが、先生は90歳を迎えられましたが、60歳、70歳、80歳と年齢を重ねるに連れて、ものの価値観や見え方は変わっていったのでしょうか。
眞木 年を取るに連れて人間の考えはどんどん変わっていきます。子どものときは子どもなりにいろんなことを考えます。学生の頃は先生に怒られながらもよく勉強して世の中のためになろうとか、成人になっていろいろなところに勤めても大変だと思います。ストレス漬けの時代がずいぶん長く続きます。しかし、みんなそのうち定年になって職を離れないといけなくなります。その時代その時代で人間の考え方が変わっていくのは、その人のせいではなくて遺伝子に左右されていると考えてよいと思います。遺伝子の働きはすごいもので、思春期になればいままではなかったホルモンがたくさん分泌されて、男らしさや女らしさが出てきます。これは全て遺伝子の働きなのです。遺伝子もどんどん老化していきます。死に近くなると尿も出なくなったり、排泄物なども人様に頼らなくてはならないし、食べたいものも自分ではなかなか食べられなくなったりと、生まれてきたときとは全く逆の方向に進んでいくのです。それもほとんど遺伝子の働きです。しかし、遺伝子は全く変わらないのかと言えば、少しずつ少しずつ変化していきます。それが進化というものかもしれません。好む・好まざるに関わらず、遺伝子に影響されながら我々は生きているわけです。そのように考え方も変わってきます。定年になってすぐのときは、まだまだこれから時間はあるなとのんびりしていましたが、この頃になってから、先輩はもちろんのこと、自分の同級生も亡くなってしまう。あるいは私よりも若い方が先に逝ってしまう。そうなりますと、自分の順番もそろそろかなと思うようになります。その順番になったときには、どんな死に方をするか。よく死ぬためには、生きている間によく生きることを考えておくことだとダライラマはおっしゃっていました。人間の考え方はどんどん変わっていくものだということを肯定して生きていくより他ないのではないかと思います。
 私は現在高齢者の介護施設で働いております。やはり日本はお金持ちなので施設に入ることがまだ可能なのかもしれませんが、南アフリカにあるシオラレオネでは、戦争や宗教の争い、餓えにより、平均寿命は約40歳となっています。それに対して、日本は国連を通じて多くのお金を使っていますが、そのような人たちがまだこの地球上にいるということを考えていただきたいと思います。
田中 ありがとうございました。
市原 眞木先生にお伺いしたいのですが、先ほど紹介されていた先生の朝食、昼食はご自身で作られたのでしょうか。
眞木 一人で作らざるを得なくて作っています。私は毎日食材をだいたい40種類近く摂っています。40種類くらい摂ることはそんなに難しいことではありません。
市原 先生のご講演の中で、長生きは運にも左右されるというお話がありました。その運を引き寄せるための生活習慣がスライドのような食事につながっていると感じたので、質問させていただきました。長生きのコツを今日いろいろと教えていただきましたが、これからはその知識を知恵に変え、長寿を天寿に変えていかなくてはならないと強く感じました。そのためのツールとしてエンディングノートを上手く利用していきたいと思いました。
田中 皆様、今日はためになるお話をいろいろと聞けたのではないかと思います。眞木先生からは生活に密着したお話を聞くことができましたし、稲葉先生のお話を聞いて、自分もエンディングノートを書いてみようかなと思いました。南々亭骨太先生の漫談を聞いて、私もやってみようかなと思った次第です。このまましばらくディスカッションを行っていきたいところではございますが、そろそろ時間となりましたのでお開きとさせていただきたいと思います。これでパネルディスカッションを終了させていただきます。ありがとうございました。
総合司会 パネリストの眞木先生、稲葉先生、鈴木先生、座長の田中先生、市原先生、どうもありがとうございました。恐らくこの「医療を考えるつどい」の中でこれほど死という言葉が出てきたのは初めてではないでしょうか。それを受けて前向きに考える非常によい会だったのではないでしょうか。ではこれをもちまして第38回医療を考えるつどいを終了いたします。ご参加いただきまして誠にありがとうございました。
参加者アンケート 感想・意見・テーマなどの回答結果
ご自由に感想、ご意見をお聞かせ下さい。また、今後取り上げてほしいテーマがありましたら、お書き下さい。



1.眞木先生の卒寿を迎えられたとは思えない基調講演、すばらしかったです。先生のお食事を写真で紹介してくださったところがとても興味深かったです。写真の説明の時、マイクが入らず、後ろの席に聞こえなかったのが少し残念でした。生涯現役のすばらしさ、自分もまだまだがんばらなくてはと感じさせてくださった講演でした。稲葉先生のお話は、普段余り聞く機会のない貴重なお話でした。南々亭骨太先生のお話は和みました。開会後しばらく携帯着信音が多く聞こえました。始めに司会の方から電源オフ、又はマナーモードにするようアナウンスがあっても良いのかなと少し思いました。(40歳代・女性)

2.南々亭骨太先生、笑わせて頂きました。(50歳代・男性)

3.時間を2時間くらいにして頂きたいです。(50歳代・男性)

4.また、稲葉さんと市原さんを入れて講演会をしてください。最新の情報なども知りたいです。(50歳代・女性)

5.基調講演はすごくハイレベルで役に立ちました。(50歳代・女性)

6.高齢化社会、認知症が増えている問題が多いので、とても良いテーマで有ったと感じました。エンディングノートに関しては、様々な考え方があり理解の仕方が多様であるため、法律的な面からの講演も良かったです。鈴木院長のパフォーマンスもすばらしかったです。(50歳代・女性)

7.講演で聞き取れないところがあり残念だった。(50歳代・女性)

8.参加回数は多くはないが、医療の最先端(最新)の状況を提供頂きありがたく思っております。参考にさせて頂きます。(60歳代・男性)

9.またいつかあったらいいです。ありがとうございました。(60歳代・男性)

10.いろいろ考えることがありました。(60歳代・男性)

11.眞木先生の「与命」という言葉で今まで「余生」という表現を簡単にしてきた自分の生き方を反省させられた。「終活」を考える年齢になり大いに参考になりました。これからもこのような集会に出席したいと思います。(60歳代・男性)

12.眞木先生のお話は、生から死の事が医学的に大変良くわかり今日伺って良かった。眞木先生お元気で!ありがとうございました。エンディングノートをどの時点のエンディング(?)かで、ノートの書き方がある、それぞれ違うと思う。私のエンディングノートを作ろうと思う。(60歳代・女性)

13.今日はとてもいいお話を聞きました。ありがとうございます(60歳代・女性)

14.眞木教授の「与命」を考えるは天に与えられた命で、余った命ではないということ。この考え方に共鳴!!「長生きのコツとエンディングノート」については、自分にとって何が大切かを考えることが印象に残った。(60歳代・女性)

15.病気をせず、最後を迎えられたら幸せです。(60歳代・女性)

16.いいお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。また、聞きたい身近な内容で再度お願いしたいです。もっと早い時間帯でもいいのですが…。 (60歳代・女性)

17.大変有意義なお話でした。深い洞察に基づくお話で感銘を受けました。パネルディスカッションも大変参考になりました。鈴木先生にも大いに笑わせて頂きました。 (60歳代・女性)

18.今日の内容は、満足するものでした。ありがとうございました。理論も必要ですが、実際の体験談は心に残りました。「健康」に気をつけ、「心身共に」健康でありたいと願っております。ありがとうございました。(60歳代・女性)

19. 65歳なったときにエンディングノートは書きました。主人が書いてくれないのが悩みの種です。(60歳代・女性)

20. こういう会に参加できてとても良かったです。(60歳代・女性)

21. 漠然と生きていましたが、頭の中の整理が出来たように思います。(60歳代・女性)

22. ありがとうございました。(60歳代・女性)

23. このような会に何度か参加させて頂いていますが、いつも気になるのが、講演中の私語の女性が多く、うるさく思います。マナーが悪くあきれてしまうのですが、ある会では開始前に携帯の電源と私語についての注意があり、大変良かった事があります。是非やってはいかがでしょうか。(60歳代・女性)

24. 眞木先生は、高齢ながらカクシャクとした姿勢ですばらしかったです。重い病の時の意思決定の難しさと考えさせられることのおもさを感じました。(60歳代・女性)

25. 眞木先生のお話は、ご高齢のお医者様は良かった。人間の優しさがあるからですね。(60歳代・女性)

26. 休憩時間がほしい。身体に良くない。(60歳代・女性)

27. 眞木先生のお元気に出会えてとても幸せでした。ありがとうございます。ますますのご活躍を期待しております。自分と子どものためにエンディングノートを書きたいと思います。鈴木先生の小話すてきでした。こんなに笑ったことはないです。ありがとうございます。(60歳代・女性)

28.還暦の頃、10年くらい前、尊厳死登録(2008年に日本尊厳死協会会員)をし、エンディングノートも書きましたがずいぶん悩みました。70歳を迎える今、とても安らかな気持ちになりました。日本の家族制度が変わり、国としても何かもっと考える時期にきているのではないでしょうか。(60歳代・女性)

29. 今後の老いについて考えさせられました。(70歳以上・男性)

30. この種の会を重ねて欲しい。(70歳以上・男性)

31. 笑って長生き、鈴木先生のような今後講演が必要でないかな?!(70歳以上・男性)

32. 遺書について「エホバの証人」の例が話されたが、県内・市内においては適当な事例とは、いかがなものかと考える。憲法との整合性を述べているが、一般的人間の場合の例をお願いしたかった。その後の判例はよかった。(70歳以上・男性)

33. 放送設備が音が割れたり、調子が良くなかった。マイクを持ってくれた先生の場合は悪く後半のマイクは先ず先ず。(70歳以上・男性)

34. 初めて参加しました。今までこのようなつどいを知りませんでした。基調講演は1本で良いのではないでしょうか。南々亭骨太さんの慢談はよかった。(70歳以上・男性)

35. 眞木先生の分の基調講演のスライドを「秋田市医師会」のホームページに掲載して頂ければありがたい。(pdfデータとして)講演でのスライドは、字が小さく読めなかった。講師の声も明瞭でなかった。ストレスとレジリレンス、座りっぱなし。「団塊シニア世代」の地域活動デビューに取り組んで行きますので、よろしくお願いします。(70歳以上・男性)

36. ピンピンコロリが理想と思っていますが、中に小賢しく、人間最後にはどうなるかわからないということのようです。(70歳以上・男性)

37. 第一部:内容は大変すばらしく感銘を受けた。ただ残念なのは音響面で聞き取りにくかったこと。是非今後善処をお願いしたい。それと著作権の問題もあるかと思うが、記録に残し県民に知らせて欲しい。出席出来なかった人の為にも。 第二部:大変内容の濃いもので一回ではなかなか理解できない。是非このような内容の講話を計画して頂きたい。(70歳以上・男性)

38. 私個人としては、エンディングノートを数冊持っていますが、タイトルにエンディングノートと書かれていますので、配布があってもよかったのではと思いました。(70歳以上・女性)

39. 楽しくためになりました。またをお待ちしております。ありがとうございました。(70歳以上・女性)

40. 次回も楽しみです。(70歳以上・女性)

41. 基調講演は、理論的な話を聞けて良かった。家庭医(かかりつけ医)の必要性を語られていたが、不安なこと・診断・検診の結果を伺ったりすると声が荒くなり、お年寄りが「言い方が悪くてすみません」とひたすらあやまる光景を目にすることが…。医者にも啓蒙をしてほしい!(70歳以上・女性)

42. はじめての参加でしたが、とても楽しく有意義でした。また次回を期待しております。(70歳以上・女性)

43. 資料の字小さくて見づらいので読めませんので大きくしてもらいたい。与命を考える講演感動しました。第二基調講演大変勉強になりました。(70歳以上・女性)

44. 新聞で知り県北(大館)から参加させて頂きました。とても良かった。医療現場では患者を心から思ってくださる方の少ないことを感じます。そんな中でびっくりする人間性のすばらしい方にお会いすることがあります。時代が変化しても真の人間性、愛のある医療であって欲しい。(70歳以上・女性)

45. 稲葉先生の講演大変興味深く有意義であったが、話すことが速く(言葉の抑揚が秋田と異なるため)聞き取りにくかったのが残念です。もう少し音量を大きくしてもらいたい。南々亭骨太さんのお話はほんとうに楽しかったです。そんな先生から診察してもらいたいと思いました。(70歳以上・女性)

46. 第二部はとても良かった。エンディングノートは買い求めたけれど、まだ書いていません。(70歳以上・女性)

47. 初めて参加しました。子どもたちの事だけ考えていました。あっという間に後期高齢になりました。気持(心)だけは若いつもりでの毎日です!強がりかも、長い間独りの生活ですので時々寂しいときがあります。(70歳以上・女性)

48. 毎回聴きにきてますが、眞木先生のお話はとてもためになりました。稲葉一人氏のお話は患者の肉親の立場として又、法律家の立場から話は実に興味深く感銘致しました。とても興味ある講師の人たちでありがたいと思いました。(70歳以上・女性)

49. 次回も参加します。(70歳以上・女性)

50. とても今後の生活に参考にして生きていきたいです。(70歳以上・女性)

51. 今回も貴重な資料を頂きましたが、余りにも文字が小さく後日読み返す時も眼鏡の上に虫眼鏡となるのでもう少し大きい文字になるよう印刷いただければ本当にうれしく思います。何卒よろしくお願い致します。今回のお話を今後の生活に生かしていきたいと思う。ありがとうございました。(70歳以上・女性)

52. 又、お会いできますことを楽しみにしています。(70歳以上・女性)

53. 2月18日はキャッスルホテルで脳研の勉強会に出かけて今日は又医療を考えるつどいに出て心が豊かになった気分です。76歳になりもう10年がんばりたいです。良く笑って楽しく行きます。(70歳以上・女性)

54. よく死ぬにはよく生きるという言葉が心にしみました。笑うことが大切、エンディングノートを考えてみる。(70歳以上・女性)

55. とても参加して良かったです。(70歳以上・女性)

56. いろいろ良いお話を聞かせて頂きましてありがとうございました。(70歳以上・女性)

57. 大変良かったです。家族のいない人の話も聞きたかったです。子ども夫もなくどうしたらよいかわからず悩みです。(70歳以上・女性)

58. 稲葉先生の冒頭のお話には親近感をおぼえ、とても聞きやすく理解が出来た。このあともこうしたつどいには参加を希望します。これからの生き方の参考にしたい。(70歳以上・女性)

59. 大変参考になりました。(70歳以上・女性)

60. 年齢の高い人ばかりの出席のように見受けました。私は高卒の近くになった人たちに対しても一学科として取り入れてくださったら良いのではないかと強く感じました。(70歳以上・女性)

61. 今日眞木先生のお話を聞くことが出来たことは幸せでいっぱいです。(70歳以上・女性)

62. 基調講演は、1部2部とも非常に有益でした。久しぶりに「足を運んで良かった」と思える講演をありがとうございました。この種の講演会で、演題によっては高齢者の割合が多いと思われるので「トイレタイム」を数多くとってもらいたい。(70歳以上・男性)

63. 是非次も参加したい。人間にとって永遠のテーマです。何回聞いてもこれでよいのだ!!と言うことはない。(70歳以上・男性)

64. 初めて参加しましたが、楽しい時を過ごさせて頂きました。大変参考になりました。ありがとうございました。又機会がありましたら参加させて頂きたいと思います。(70歳以上・女性)

65. とってもよい時間作って頂きよかった。やっぱり笑うと言うことは、この寒いときに暖まりますし良いと思う。また、笑えるテーマをやって欲しいです。ありがとうございました。(70歳以上・女性)

66. 先生方のお話とっても良かったです。(70歳以上・女性)

67. とても良いお話をいろいろありがとうございました。(70歳以上・女性)

68. 眞木先生からは特に、元気を頂きました。先生の教えを参考にして、私も健康で長生きしたいと思います。(70歳以上・女性)

69. 市原先生は、まだ若いときから、早くも在宅介護を目指して外科医から転身してがんばっている姿に親しさを感じます。秋田医学界のホープです。(70歳以上・女性)

70. 高齢者にとっては、とても大事な話で参考になりました。エンディングノートを考えたいと思います。秋田市の物忘れ外来消滅(脳研)のようですが、これからますます必要な事だと思いますが、前向きに動く行政になって欲しいと思います。(70歳以上・女性)

71. スライドの文字が小さく後ろの人には見えにくかった。メモをとりたくても暗くて字が書けなかった。(70歳以上・女性)

72. 少しわかりにくかった。話の声もとおりにくかった。(70歳以上・女性)

73. 初回でしたが良かったです。只、皆さん高齢な方、60~70歳以上だと思いますので聴力、視力、落ちていると思う。(70歳以上・女性)

74. 少々疲れましたが、とっても楽しかったですし、すばらしいお話をありがとうございました。参考になりました。骨太の話もおもしろかったです(鈴木医師)。秋田にこんなすばらしいお医者さんがおいでとは、はじめて知りました。(70歳以上・女性)

75. 眞木先生の基調講演を伺い、人間の基本を考えさせられました。高齢期を生きる新しい工夫、倫理etc.(70歳以上・女性)

76. 今後取り上げて欲しいテーマ:「現在の最新医学、医療の状態。今後の知識はそれによってどう変わっていくか」(50歳代・男性)

77. 今後取り上げて欲しいテーマ:「在宅医療について(特に訪問看護)」(60歳代・女性)

78. 今後取り上げて欲しいテーマ:「ショートステイやグループホームの充実」(70歳以上・男性)